無理なく努力して資産1000億円を目指す…

基本は億にも達していないトレーダーの日常。トレードも読書も英語の勉強も、趣味もお洒落もダイエットも、全て無理なく楽しく続けることをモットーにしています。小さな努力も続ければかなり大きな成果に。基本成果を早く出そうとするから皆苦しいのだと思っています。

この前、下落を予測する日記を書いたのに、高値更新したダウ平均(*‘ω‘ *)

一昨日から昨日にかけて、以下のブログを書いた。

 

www.i-love-money-and-beauty.com

 ちなみに、今日は、2月25日。このブログの投稿は、恐らくは2月26日になると思う。

相場関連なのに、時流からズレることほとんどで、申し訳ない…。

 

本来ならドル高と株高が相関すべきとの考えを持っているし、読んだ本には、ニクソンショック以来アメリカは投資を引き付けつつドル高を保つ政策をしているとの、文章を読んだ。

それは、アメリカの双子の赤字故だ。アメリカは、投資を引き付ける為に、高金利を目指したが、昨今では、それもやっていない。それでも、米国の資産価格は一番よく上がる。

それが、経常収支が黒字である日本やドイツからの投資を引き付けるのだ。

しかし、そうなると、資本の流れは、ユーロ圏→アメリカ、となるわけだから、為替レートは株価上昇時には、本来なら、ドル高にならないといけない。

 

この通りに、2014年だったかのECBの金融緩和以降は顕著になっているのだが、コロナショック以降は逆になっている。

しかし、FXでのスワップは、ユーロドルのショートでプラスになるので、ドルの方が金利の高い通貨になっているはずである。

ユーロについては、一つ別の推測が成り立つ。

確かに、通貨借り入れの金利は低金利なのだが、よく考えたらギリシャやイタリアなどは高金利国になっているのだ。だとしたら、アメリカから資本が向かっている先は、ドイツではなく、ギリシャだろうか。

それでも、何故コロナ以降だけこうなったのかが、説明しにくいと思う。

 

考えられる説明としては、ケインズに倣って、投機の力をある程度自覚することだが、これは素人臭いアプローチであり、低学歴が好む上、株価暴落時にあまり役に立たないので、暴落ハンターの私としては、好まない。

それでも、テクニカルには忠実であり、テクニカルだけでドルストのロングがとれてしまった流れも自分の中であるので、違和感しかない。

 

どっちにしろ、ファンダメンタルズのいいところは、ファンダメンタルズの追い風があれば、ストップに当たっても、ロスカットしなくていいということだ。だから、私は逆指値は置かない。

しかし、テクニカルだけで判断する場合は、ストップに忠実でないといけなくなるので、そうなると、収益性が下がるリスクがあるのだ。全くなかったロスカットが必要になるから。

 

個人投資家の多くが薄利になっている理由は、ファンダメンタルズ分析ができないからだと、以前知り合った金融機関の中の人が言っていた。

私が、ファンダメンタルズを比較的重視するのは、その人が、金融機関の中で、極まて優秀で出世街道を歩む人物だったからだ。

個人投資家の中では、金融機関の中を頭いいと捉える人間と、下っ端の営業だけ見て大したことないと思う向きと、二種類あるが、上に行ける人は、凄く優秀。しかし、出向よろしく地方勤務しかないような人間は、落ちこぼれである。次の金融危機で、更に田舎を任される。結構シビアな世界だ。

 

ところで、昨日は、レモンタルトを焼いてから、昼食にして、映画を観て一日を終えた。

読書していないことには、焦りしかない。

それでも、恐らくは、手の込んだ料理をしつつ映画を楽しむ休日をとれるのは、今の時代は最大級の贅沢だろう。

贅沢の種類は変わりつつある。

ちょっと前までは、ショッピングモール徘徊だったと思うが、それが古いと以下の本にあった。

 

2025年、人は「買い物」をしなくなる

2025年、人は「買い物」をしなくなる

  • 作者:望月 智之
  • 発売日: 2019/11/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 私もスーパーも行くのが凄く嫌だ。ドラッグストアやコンビニも嫌だ。

今は実家なので、親に買い物を頼んでいる。しかし、親が他界したら、きっとAmazonだけで生活する怪しい人間になるだろう。

それでは困るので、50歳ぐらいまでは副業で出勤しようと思っているが。

 

ポイント倍増デイに、貧乏人でごった返すスーパー。

それを見ると、基本人間は、金を稼ぐこと、資金が増えることに快楽を覚えるのだと実感できる。

それなのに、日本人は欧米人と比べたら、仕事を憎む国民だとの統計データもあり、Twitterで募集される胡散臭い特殊詐欺のバイト募集に応募してしまう、楽に稼ぎたい一定数が、常にいる。

多くの人は、スーパーに買い物に行っているのではなく、ポイントを貰いに行っているのだなとの印象を受けるが、そういう人の多い場所に行くのは、私には苦痛だ。

 

人間は進化の過程にある。

遊牧民族や狩猟採集民をやっていた時は、資本主義がなかったので、労働集約的ではなかった。だから、動き回ることに快楽を覚えつつ、動き回らない場合の娯楽がなかったから、退屈したのだろうと思う。

 

今の時代、人間は陰キャ化してきていると思う。

AmazonプライムGoogle play musicの両方に登録しつつ、kindleを持っているが、大抵の暇つぶしや楽しいことは、それらのツールで事足りる。

好きな雑貨屋や服屋などの通販サイトもあり、ハンドメイドに特化した通販サイトもあり、家にいるだけで、欲しいものが手に入る。問題は、着ていく場所がない。ショッピングモールとか、ダサいから。

 

恐らくは、メンタル的により現代人になり、かつ、資金的に恵まれている人間にとって、ステイホームは苦痛ではない。

しかし、家にいて娯楽にアクセスする金のない人間は、スーパーやショッピングモールに行くしかない。その方が金がかからない。

楽しいと言う感情は、金の多寡に左右される。

ステイホームしていても全能感に満ちる為には、豊富な資金で溢れた口座が必要だ。

それさえあれば、快適な持ち家に住んでいる場合、家にいるのが贅沢だと分かる。

恐らく、ショッピングモール徘徊などの行動を生み出す要因は、閉塞感や鬱屈だと思う。

少しだけ興奮する。その感覚の為だけに、このコロナ禍人前に出る。

 

より、上位1%が富み、下位99%が貧しくなる時、もしかしたら、買い物をやめてショッピングモールに行かなくなる人は、少ないかも知れない。

多くの人は、暇だから、買い物に行く。

仕事でもすればいいのに、日本人は、仕事を憎んでいるから。

 

それ故、買い物しないはないだろうな…私は、そう感じている。

週5日働いている者たちへ…一番ワクワクするのは何曜日か?(*‘ω‘ *)

金曜日、始まった瞬間、明日からの連休もどうせいつかは終わると憂鬱になることがある。

私はトレードも副業の出勤もない日というのは、基本的に1ヶ月に1~2回程度だ。

その為、トレードの為の分析記録を作らなくていい日の始まりである金曜日夜と、副業の長めの勤務が終わる日にちが一番ワクワクする気がする。

 

土日はトレードはしなくていい。だから、少し気楽だ。

しかし、含み損を抱えて土日を迎えた場合、その後の処理や流れを見たい思いから、少し土日にテンションが下がる。

毎日が楽しいのは、副業が楽しいのは、トレードで利益が出ているからだ。

 

ところで、金曜日に仕事が全て終わるとして、金曜日の夜が楽しい人が一番多いだろう。

しかし、私にとって一番楽しいのは、木曜日の夜だ。

明日勤めればゆっくり楽しく休むことができると思うと、一番ワクワクする。

金曜日には、既に、もう明日から休みだけど、その3日後には仕事だと思うので、少し憂鬱だ。

土曜日になると、この休みも終わりがいつか来るという思いから焦りを感じる。

日曜日になると、明日から仕事だと思うので、覚悟を決めようと思いつつ、休みが恋しい。

 

これが健全な生活なのだ。

私は、月収数万程度のガチニートをしていた時期があったが、その時期は毎日楽しく夜更かしをして、昼夜逆転していた。

今は、出勤の仕事もある関係上夜は22時には寝ている。

思えば、ニートの夜は凄く楽しかった。

もし、副業を辞めてトレードだけになったら、米国市場もあることだし、昼夜逆転に戻るか?と問われると、それはない。今が健康的だからだ。自律神経のバランスが整うし、真昼の8時間睡眠より夜中の8時間睡眠が質がいいのは明らかだ。

 

土日が来る度に、それを如何に有意義に過ごすかで悩んでしまう。

私の趣味は金を稼ぐことだ。副業の休日とトレードの平日が重なる時、今日はデイトレードでもしてみようか…そんな気持ちになる。

ところで、デイトレードは実験的に2年前から少しずつしているのだが、連勝記録みたいなものが伸びてきている。一回エントリーすると、たまに僅かながらに負けるのだが、基本は大きな利益を連続で積み重ねる。

でも、デイトレードは緊張するので、副業での出勤に疲れが残るのではないかと心配になる。結果、99%スイングだ。

 

読書も楽しいが、所詮は勉強の為という意識もあり、そこまで楽しいわけではなく、気が抜けない。

それでも、思う。私は、読んだ本の内容を全て覚えているのか?観念的には、流れを理解しているが、正確にテストで点を取る為の暗記と言ったら、その精度はない。

 

映画も好きというより、感受性を磨く為に観ているので、勉強に近い。その為、こちらも、そこまでのワクワクはない。ピンとくる楽しさがあるのは、20に一つぐらいだ。

 

そんな休日を過ごしていて、副業で出勤するのと、家で過ごすの、どっちが幸せか考えてしまった。

この勉強の日々に終止符を打てる。そう思うと、休日の終わりが切なくない。

しかし、副業で出勤先で仕事を頑張っていると、休日が楽しみになる。

それでも、その休日は、その副業で仕事を頑張っている日々に空想するほどには、楽しくはならないのだ。

結局は、休日そのものよりも、休日を希求する日々は一番ワクワクするのかも知れない。

 

今日(2月17日)は、少し読書をお休みした。

疲れていると感じたし、読書のモチベーションが今一なのだ。

今読んでいるのは、過去にギリシャ財務大臣だった経済学者の書いた経済の本だが、エアハルトと言うドイツの人物に対する批判がないのを見ると、本当に左派だろうか…と不安になった。左派ガチ勢は、彼が嫌いなはずだ。私もそうだから。

それでも、このギリシャの元財務大臣は、マルクスを引用する箇所がるので、そういうところは、信用が置けて、安心して読むことができる。今日も、夜になったら読書するだろうなとは思う。

 

今日は、洋楽ミックスを聞きながらのんびりとブログを書いている。

数年前まで、予定を決めないと休日を乗り越えられなかった。

今はだらだらしても、そこそこ楽しめるようになっている。以前は、ぎちぎちにやるべきことを決めて、その通りに実行しなと、手持無沙汰を感じた。その反面、完璧に常に動き続けるので、休日の方が、仕事がない日よりも疲れてしまい、仕事を心待ちにした。

 

 

先週の今日、4時間ぐらい読書して、『パックス・ブリタニカ』という本を読み終えた。感想ブログを書きたいけど、書ける日が当分来ない予定だったので、書ける日に読み終わろうと思って無理をした。結果、せかせかと過ごしてしまい、寧ろ興奮した。結果、眠れなくなった。ああいう日は、よくない。

 

眠れなくなると、副業がきつくなってしまう。それだったら、読書の時間を多少削ってマイペースになるのも、一つの選択肢だろう。

 

休日は、案外苦痛に満ちている。楽しい娯楽をいくら買っても、それを心から楽しむことはない。口座残高が増えた瞬間が一番嬉しい。だから、1000億円は欲しい。でも、その後はきっと兆を求めるだろうと思う。その頃になったら、ファンドでも持っているのだろうか。夢は広がる。

こういう夢想に耽ると、現在の月収100万が本当にすくなく感じるし、トレードでも緊張感が湧く。その瞬間は、本当に負けない。気持ちで勝つのが大事なのだ。

 

今日は、のんびりと、刀剣乱舞のゲームもした。

こちらは、今は、秘宝の里というイベント中だ。このイベントは期間中にクリアできる気がしない。ニートなら楽勝だが、仕事もしている。

しかし、幸いにも仕事があるので、課金もできる。課金できるなら、クリア可能だ。

 

今日は、そんな風に非生産的に過ごしていたら、読書の気力が湧いてきた。

 

風呂では、漫画を読む。長風呂して漫画を読むのは、トレードをみっちりやる水木と、土日のみにしている。

この前までで、チェンソーマンの再履修を終えて、気になって買っていた漫画の1巻だけを読み終えたところにある。もう直ぐ、進撃の巨人が最終回みたいだ。だから、こっちを再履修しようかと悩んでいる。進撃は、紙の書籍で全巻持っている。しかし、風呂で読めないので、kindleに買いなおそうかと思っている。紙も、いざと言う時に備えて残しておく。

やりたいこと、知識欲はかなりある。漫画もそれを満たしてくれるツールだ。

 

この前、前髪を切った。

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beforeとして、長かった時期の姿。

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どちらも気に入っているし、自分は最高に美しいと思っている。

だから、結婚したくない。結婚するの、凄く勿体ないと思う。彼氏もいらない。彼氏を作るのも勿体ない。その気持ちがはっきりあるぐらいに、自分は自己愛に満ちている。

女の価値を決めるのは、男ではない。女が纏うべきものは、自信だ。赤いリップは、その為にある。赤いリップは仕事にはつけていけない。真っ赤なリップ。それを付けて出かける為に、休日はある。そういう予定を楽しみにしている期間の仕事は、本当に楽しい。残念なのは、今は、マスクでそれが隠れてしまう現実だ。

 

ヒールはどうだろうか。現代の文脈では、奴隷のコスチュームと言う気がする。自由を求めるなら、履くべきではない。赤のリップもヒールも両方女性的だが、それを女性が身に着けるに際して、イメージが真逆になるのは、とても面白い。

 

今日は、寿司を食べた。

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家の近所の寿司屋でテイクアウトしている。以前は毎月食べに行っていたのだが、今はコロナが心配なので、テイクアウトにしている。しかし、テイクアウトにすると、季節物や食べられないメニューもあるので、来月に出かけて食べて来ようか悩んでいる。

 

今、そこまで生き急ぐ様に読書する必要もなく、気楽に本を読みつつ、外食でも楽しんだ方がいいのではないかと言う気持ちになってきている。

私の読書量はかなり多いが、難しい本が多く、気が抜けないのが少し辛い。もっと人生を気楽に生きるべきだ。そう思う気持ちもあるが、その反面、この努力を放棄したら、1000億に届かないどころか、月収100万すらも失うのではないかと、不安だ。

 

トレード収益がある程度ある場合考えることは、無職になることではない。

トレーダーとの横のつながりを求めるのもいいが、それ以外に、その輝かしい自分を見てもらう為に外に出たい欲求が湧く。それが、私にとっての副業だ。

恐らくは、働きたくないと言うニートに限って、月収がないのではないだろうか。きっと彼らは恥辱にまみれている。彼らと一蓮托生はお断りだ。

私は、働かなくても、トレードをやめても、親の金と残してくれる財産で一生困らない。しかし、そんな挑戦しない人生に価値はあるだろうか。生きている実感はどうする。そう思うからこそ、金が増えて嬉しいトレードもするし、仕事を認めてくれる同僚や上司のいる副業も続ける。メイクして綺麗な自分の姿も、絶対的に、他人に見てもらう。ネットだけではなく、リアル世界で自分を見せびらかす。こういう虚栄心ならありだ。

以前の知り合いで、金持ちと結婚して、派手女に見下される地味女として生きてきた癖に同窓会に慌てて行った見栄っ張りがいた。彼女の様に、惨めにはなりたくない。

 

自戒を込めて書いていたら、今日も読書ができそうだ。

為替と株価の乖離…近々ドル安と同時に株安が来るかもしれない(*‘ω‘ *)

最初に断っておく。

私は昨年暮れに月収100万を達成したトレーダーだが、このブログの予測を元にトレードすることはない。漠然とだが、チャートを見ていて思ったことを、面白おかしく書くのが、今回の記事だ。

 

ちなみに、ブログは暇な日に書き溜めているので、この時点で記事は11ぐらい保存がある。いざ忙しくなってもいいようにだ。この記事は、2月23日の時点では最新の物である。それでも、優先的に投稿しなければ、時流に外れるので、先に投稿する。

 

度々、日にちがブログに現れるが、その辺注意して頂きたい。

基本私は気まぐれなのだ…(*‘ω‘ *)

 

ナスダックが大きく下落した。それなのに為替市場はドル高にならなかった。

しかし、きっちり勉強している人間にとってはこれは当然のことなのだ。

 

少し前から、株高とドル安が相関していたが、1月からは、その相関が外れる様になっている。結果論で申し訳ないが、それが下落の前兆だったのかも知れない。

株価がこのまま下落するのなら、為替が正しかったとなり、株価が上昇を続けるなら、株式市場が正しかったとなる。

 

私がトレードで参考にしているのは、移動平均、レジサポ、相関だが、基本的には、株式のロングに対して警戒すべき状態になっている。

しかし、ショートするのは、まだ自殺行為だ。

 

 

 

 

ところで、この日記の冒頭は、2月23日に所用で出かける前にちょこっと書いた。

私自身は、FXで、株価下落と相性のいいポジを2月22日から持っている。

そして、2月24日の朝起きたらテスラが落ちていた様だ(ニュースで見た)。

昨日は忙しくてこのブログを完成させることができなかったのだが、昨日投稿していればカッコ良かったなと心底思ったので、今泣いている(*‘ω‘ *)

 

 

 

 

 

話を元に戻そう。

まず、ロング諸君は今何もできないけど、ショートもよっぽど金があって10%なら紙屑になっていいという面々以外は手出しできない。

ナスダックだけなら、75MAをザラ場で下抜くぐらいに下落したが、そこでサポートされており、また、各長期移動平均線は上向いているので、上昇トレンドは否定されていない。

私自身、この状況下でのショートは勝率が悪い。

 

ところで、一つの予測(推測)を述べようと思う。

 

私は、ここに書いた通り、実質テクニカルだけでトレードしているのだが、ファンダメンタルズ的に優勢と思ったら、ストップの位置まで来てもロスカットはしない。見るのは、1時間足以上の長い足のみだ。

 

私自身は、去年のコロナショック以来は、ドルストのロングと株式のロングは相関していて、同時に利益を出すとの思いでトレードしていたが、それが今年1月以降揺らいだ。

株価は高値更新しても、為替市場が高値更新しなかったからだ。

 

そして、古いタイプのトレーダーなら、このロング同士の相関には、疑問しか抱かなかったはずだ。

まず、株高に即してドル売りになるのは、絶対的におかしい。理由は、今ドルが高金利通貨になっているからだ。ユーロやスイスフランを売ってドルを買った方がいいというか、逆をやるとスワップがかなりとられることに気づいたはずだ。

私は一回のトレードで数十万とるので、ドルストロングをしていた期間、ドルストロングのマイナススワップは万単位だった。

基本、株高の時は、この場合、ユーロが売られドルが買われるのが、2000年ぐらいからの流れだ。

2008年の金融危機では、これが逆戻しになって円やスイスフランが買われた。

単純な安全通貨との神話に乗せられてはいけない。

株価下落、資産価格の下落、これらを起こす要因は決済だ。

 

当時の金融危機時に、金融機関内に友人が多数いたのだが、その内の一人が、ポジは強制的に上司に決済させられたと言っていた。数年間持てば上がるのに…と悔しそうに。

この逸話は金融機関の現状をはっきり言い表していると思う。

長期的に利益になるか?その勝負をしたいならHFになった方がいい。それができないなら、短期で成果を、上司の下で上げるべきなのだ。

金融機関のこの現状があるのなら、また決済する日も来る。

 

以下の本で読んだのだが、アジア通貨危機の時は日本が真っ先にロスカットを行い、各国金融機関を危機に陥れたらしい。

 

IMF 上

IMF 上

 

 個人投資家の中で、特に、低学歴から上がろうとしていて、金融機関などに友人のない勢に顕著な思い込みだが、『相場は機関投資家に動かされている。個人投資家は食い物。』これは顕著に間違いだ。

実際は、金融危機時は、機関投資家ロスカットで大枚が手に入る。

恐らく、低学歴勢、実社会で常に食い物にされているので、被害妄想が酷いのだろう。

 

ちょっと話が逸れた。

ここ数回のブログは、大好きな暴落が期待できるので、相場の話が増えるだろう。

このブログ、題名変わっているが、昔は、『ダウ平均の暴落を願うドル売りブログ』だった。

 

元々の資金がどの通貨だったかが、賭けの対象となるのが暴落だ。

 

円を調達通貨としているのか、ドルを調達通貨としているのか、ユーロを調達通貨としているのか。

そして、中央銀行が基本自国通貨を緊縮的に運用する時、その国の通貨は高くなる傾向もある。

そして、その時は、リスク回避嗜好なのか、リスクテイク嗜好なのか。

 

リスクテイク嗜好の時に、低金利通貨を買って高金利通貨国の資産に投資する動きをする。

そのベースが、今回円だったのなら、危機時に高くなるのは円であり、ドルだったのならドルになり、ユーロだったのなら、ユーロになる。

マネタリーベースやマネーサプライとの関係に一時期興味を持ったが、国内に滞留する分には、あまりこれらは関係ないので、単純に、スワップで見るのがいい。これは金利差で決まっているから。

 

昨日からのテスラの暴落で、ドルスイスでスイスフランが安くなっている。

これはおかしい。間違った動きの可能性が高い。

為替市場では、基本ルールが変わったとは思わない方がいい。

テクニカル的には、ドルスイスはロングを探す感じで、スイスフランクロスもスイスフラン売りがいいが、結局は、決済時の機関投資家の資産は凄く大きい。それに比べて、投機を行うHFは小者だ。

テクニカル的にアルゴリズムスイスフランショートが出ても、最後には、世界同時株安になったら、決済の動きでスイスフランが買われやすい。

 

私自身は、テクニカルだけを利用しつつ、2月22日から、ドル円ショートとNZドルドルのロングを持っている。

他のドルストは一旦近々ドル高に行くことがあると思うので、そこの押しでドル売りエントリーしたい。

 

色々まとまりなく逸れたので、元に戻ると、ドル安に行った為替市場ははっきりとリスク回避をしていた。しかし、株式市場は、上昇していたので、リスクテイクだった。

この場合、どちらかが間違っている。

私は、株式市場が間違っていたと思っている。

効率的市場仮説によれば、市場は全ての情報を織り込む。この理論が正しいのとの観点からテクニカル運用がされる。

しかし、貿易収支や多国間投資の様な動き、その際の借り入れ、決済、それらは、株式市場には反映されない。反映されているのは、為替市場。恐らくは、正しかったのは、為替市場で、近々、ドル安が発生して、同時に株価下落が起きるのではないかと思っている。

2月22日時点で、ナスダックで多数の陰線。

日本市場は少し上がっているが、ダウ平均も上値が重く上げ切れていない。

 

ワクチンも開発されている今、将来に対する不安はないから、寧ろ落ちる理由はない。

 

色々書いたが、今我々にできるのは、様子見である(ドル円ショート持ってるが)。

下落のリスクがあるが、上昇は完全には否定されていないということを自覚する必要がある。

 

ところで、ドルを売るならどの通貨に対してか?という疑問だが、個人的にはユーロか円がいい。

円は鉄板だが、ユーロ推しの理由は以下の本から(まだ読み途中)。

 

 ギリシャの元財務相が書いている本で、ギリシャに対する愛が籠っている。

ここによると、ユーロは基本金融緩和をしない通貨だった。

だったというのは、確か、2014年だったか2015年だったか、当時のドラギ総裁の下、金融緩和とマイナス金利をしている。それに耐えられなくなったスイス国立銀行は、スイスフランの上限撤廃をした。

こう書いてみると、ユーロスイスショートも美味しそうだ。

 

私個人は、公務員の力が強い国の通貨は強く安定するとの価値基準を持っている。

ユーロが成功した理由は、官僚機構を整えたからというのがあるらしい。その官僚機構が、フランス出身のエリート志望者に就職先を与えたのだ。

2012年ぐらいのユーロ危機は、そのエリートと民主主義の戦いだった一面があるが、結局は、エリートに軍配が上がった。

フランスを統治するよりも、強いドイツマルク(ユーロ)を持ち、欧州連合を統治することを選んだエリートたち。

この神話だけで、ユーロのファンダメンタルズだけは完璧だ。

 

もちろん、時間軸はテクニカルで合わせる必要があるのだが。

 

ユーロに魅力はそれだけではない。

ドイツマルクを持つドイツの中央銀行は、政治家を失脚させたことが過去に何度もあったらしい。そして、中央銀行の独立性から、政治や民主主義を無視した政策により、ドイツマルクを強く保つ、各国協調の介入はしない、など、かなりの独自性のあった銀行だ。

 

今でも、FRBや日銀に比べて、ECBの独立性は極めて高い。

 

基本的には、通貨を高く据え置くためには、デフレが必要であり、それも賃金のデフレが必要である。そうしないと、他の国との競争力が得られないからだ。

しかし、ドイツはフランスにフォルクスワーゲンを輸出する為に、ドイツマルクを低く据え置いた。

それに対して、フランスは欧州連合結成の為に、左派政権だったにも拘らず、フランスフランを高値に据え置き、賃金を低下させて競争したそうだ。通貨高なので、ユーロで最初に実行された緊縮財政だ。

 

恐らく、ECBはユーロをドイツの競争力の為に、安く据え置く必要はないだろう。

レートの存在しないユーロ圏に輸出すればいいからだ。

だとしたら、ユーロを輸出して、それがフォルクスワーゲンにより自国に還流して、貿易黒字を作り、いつか、それがインフレになるリスクを減らそうと動く可能性が捨てきれない。通貨高を選べる選択肢があるのが、ECBだ。

 

それについて、上記のギリシャ財務大臣の本に書いてある。

 

ユーロ、スイスフラン、円を、ドルに対して積極的に買って行こうと思う。

 

長文になった(*‘ω‘ *)

 

 

 

 

チェンソーマンを再履修してます(*‘ω‘ *)

私にとって、風呂とは、ラッシュの化粧品を楽しみつつ漫画を読む時間。少し前までは鬼滅を読んでいたが、今はチェンソーマンを読んでいる。

実は、漫画は新しいのを毎週末買いつつ、それを一回読んで二回目読むか?と不安になる毎日が続いていたのだが、近頃は再履修が楽しく、その点安心している。

 

 

チェンソーマン、一回目はサンタクロースのあたりから理解できなくなり、人間関係や伏線は全く読み取れなかったが、ネタバレした二回目は、伏線を意識できたのでとても良かった。と言っても、9巻までしか読んでいない。

 

この作者はいくつかの記号に思い入れがあるのではないかと感じられる。

 

まず、映画だが…、前作でも主人公に教養を与えるセクシャルマイノリティの人物に映画の趣味を付与していた。今作でも、マキマという極めて魅力的な女性に映画の趣味を付与している。もしかしたら、作者に映画で人生で印象に残った体験があったのかも知れない。

個人的に、映画は私もAmazonプライムで1ヶ月4本ぐらい観るが、とても作品としては、海外のものは、出来がいいし、内容も考えさせられる。このまま映画を観る習慣は維持したいと思っている。

 

それと更に、クァンシというセクシャルマイノリティの女性も描いている。もしかしたら、LGBTについて極めて寛容な性格をしているのかも知れないと予測している。

この辺も前作に通じる。

 

ちなみに、前作。こちらも全巻持っている。

 

 今日は、チェンソーマンについて主に書こうと思う。

 

今作、デンジと言う主人公が、借金に苦しむがチェンソーの悪魔に助けられることによって、偶然生き残り、悪魔を討伐する公的機関で働くことになる話だ。

Twitterでは、『鬼滅の刃にしろチェンソーマンにしろ、主人公が普通の生活を望み、ワンピースの様に大きな夢を描かない。それだけ、時代が貧しくなっているのを反映しているのかも知れない』という呟きを見たことがある。

普通をどう定義するかにもよるだろう。ワンピースのルフィも特別恵まれていなくても大言壮語の夢を語る。夢を語れるかは、どれだけ自分を奮い立たせられるかによると思う。

話が逸れた。

各所に伏線がちりばめられているが、基本は、銃の悪魔を手に入れた各国と、それと戦争をする日本の話。その様に初期から伏線があるのだが、それが分かりにくく、世界的に銃の悪魔を追いかけていると錯覚してしまう。

 

ところで、デンジの普通を求める気持ちや、悪魔退治の話以外に、チェンソーマンは人物関係が凄く充実していていいと思う。

人物単体の描かれ方も凄くいい。

 

まず、マキマさんという人物が魅力的だ。後に色々と明かされるが、仕事のできる女性として先進的描かれ方をする反面、色恋沙汰が基本なく、目的に忠実だ。安定していて読みやすい。

それなのに、デンジに色々とエロいことを教えるしデートにも誘う。

しかし、性愛的描写はなく、日常風景の中で二人の感情的やり取りが進んでいくのはとても自然でいい。

マキマさんは仕事のできる女性だから、さぞかし男性的描かれ方をしていると思われるかも知れないが、女性的というより中性的魅力があり、色気も失わない。今を生きる女性の理想像ではなかろうか。

レゼという女性も出てくるが、彼女も中性的見た目と強キャラというギャップが凄く良く、不幸な身の上の子供が悪魔になった例だが、デンジと恋愛沙汰を演じつつも、それに本気にならず、最終的には、助けてくれたデンジからも離れて自分の力で生きていこうとするあたりも自立していて凄くいいと思った。

 

しかし、何よりもいいのは、アキとデンジの対等感ではなかろうか。

 

BLカップルではなく同性の戦友だが、日本の文学の描かれ方はどちらかがどちらかをケアしたり、どちらかが優位に立つステータスを持っていたり、対等に助け合う作品は少ないと感じる。

それなのに、これは、基本的に戦闘能力はデンジが強いが、アキがパワーという女性やデンジと暮らす間に、特に一時的に闇の悪魔に追い詰められて弱るパワーやそれを面倒診つつ、毎日を楽しく過ごして幸せそうなデンジを見て、銃の悪魔に対する復讐を諦める。それを怖気づいたと表現する。

怖気づくと言うのは、何も自分の命が惜しくなる時だけの表現ではない。

幸せがなくなることや、自分の大切な人が不幸になることへの恐怖も表す。この部分の表現がとても繊細で良かった。

アキはデンジを心配しつつ、デンジはそれを意に介さない。そして、アキもそれを受け入れる。互いの自由を尊重し合うペアなのだ。

人との絆が上手く表されている漫画だと思う。

しかし、この作者の歪んだ部分は、この絆を壊す方向に、不幸な結末を迎える方向に描かれる。

ちょっと辛いかも知れないが、続きが気になってしまうので困る。

 

鬼滅程涙が出るタイプの作品ではない。

しかし、色々と考えることは多く、そして、個人的に鬼滅の刃は鬼サイド以外は、緩めの保守主義の色が見える。しかし、チェンソーマンはジェンダーや自由について、極めて急進的であり、リベラルにはお勧めの漫画だ。

 

自由やジェンダー、絆は、人生の文脈の中で考える必要があると思っている。

 

その意味で、デンジは確かにルフィに比べて大きな夢を持たないが、その自由に生きる意思や他人の生き方を尊重する優しさ、そして、自分の幸せ以外意に介さない個人主義、それらを思うと、ルフィより自由に生きている印象を抱く。

 

過去に、自由と正義について哲学的文献で読んだことがある。

夢を抱くことばかりが自由ではないのだ。夢に囚われず、何にも影響されない自由意志を持つこと、それも自由と言えて、凄く難しい生き方なのだ。チェンソーマンが貫いているのは、そういう種類の自由ではないだろうか。

もう直ぐバレンタイン…チョコを買いつつカフェに行って来た(*‘ω‘ *)

最初に、シュウウエムラクロマティックを買うか悩んでいる。

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上記は、スクリーンショットなのでブログ用に加工していないが、以下からの転載だ。

www.shuuemura.jp

捨て色なしの素敵なアイシャドウ。これを買うか悩んでいる。買えるだけの資金は今日積んできたのだが、リップも一色セットで買いたい。自分へのバレンタインプレゼントだ。

しかし、過去にシャネルのシャドウを使っていたのだが、正直発色の満足感はヴィセと遜色ない。リップもデパコスがまだ沢山残っている。

本当に買うのが正しいのか…悩んでしまう。結局私が金が貯まるのは、不必要なものを一切買わないからと言うのが大きい。

金ばかり貯めて使わなければ何の為の金か?とは聞かれるかも知れないが、金は束になると力なのだ。力とは蠱惑的な物だと思う。私は、その魅力にやられている。

 

金が入るから、如何なるものでも仕事が好きだ。

ブログは趣味だが、トレードも副業も頑張れるのは、金が好きだからだ。

 

しかし、今日、『パックス・ブリタニカ』という本を読んでいたら、当時の英国軍の士官は紳士階級かそれ以上から出ていたので、不労所得があった。もし、不労所得がなかったら誰もその職に就かなかっただろう…と書かれている箇所を読んだ。正に。

私も、不労所得があるからこそ、出勤が必要な副業が楽しいのかも知れない。綺麗なメイクで出勤して、それを同僚に見てもらう。それだけでも、仕事に価値がある。

 

シュウウエムラ…やっぱり買おう。

まとまりのない序文になってしまって申し訳ない(*‘ω‘ *)

 

さて、今日は、副業もトレードもない日だったので、そもそもトレードは月収100万を安定させるには、エントリーチャンスなんて1ヶ月に数度しかない。副業も、フルタイムでは働いていない。だから、中休みがある…、だから、カフェに行ってきた。

カフェでは、キヌアサラダがお気に入りなのだが、朝のモーニングの時間に行くと、クロワッサンサンドと飲み物のセットが、480円なのだ。それに、780円のキアヌサラダを付けると、1300円ちょっとでこれだけ食べられる。

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カフェで食事をした後は、カフェで日記を書いた。月曜日から書いていなかった。

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手帳は山姥切長義であり、万年筆は加州清光だ。刀剣乱舞は、今一番好きなコンテンツだったりする。しかし、ツイステッドワンダーランドと違ってストーリーがないので、ブログが書きにくいのが辛い。

実は加州清光の万年筆、1年以上使っているので、既に装飾が剥げている。保存用、観賞用、実用と三本買えば良かったと後悔している。

しかし、どうだろう。最推しは加州清光で、準推しが山姥切長義なのだが、長義を買って保存するのは、使ってあげられる加州清光にはよくても、眠ることになる長義には申し訳ない気持ちになる。やはり、物も、刀剣男士も使ってもらえることが幸せではなかろうか。個人として勿体ない気持ちもあるが、加州清光は、実戦で使われた刀だったから。

 

しかし、インク切れになり、最後まで日記は書けなかった(*‘ω‘ *)

 

今日は、リンツでチョコレートを買ってきた。

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自分へのプレゼント。全部で1万円ぐらい。

ピンクのは、4つしか入っていないのに、2000円した。さぞかし美味しいのだろうと楽しみだ。

バレンタインということもあり、かなり混んでいた。しかし、リンドールは手袋ありで選べるようになっていたので、コロナ禍でも、安心な方かなと思って買ってきた。

それでも、帰りに他のデパートを見ているとその他のチョコも美味しそうなので、リンツに拘る必要もなかったかな?と思いつつ、過去にイタリア旅行して以来リンツが好きだ。

 

久しぶりに、クリスピーチョコレートも買ってきた。

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こちらもバレンタインの限定品だ。とても美味しかった。アーモンドミルク入りの紅茶と一緒に頂いた。紅茶は入れたてだったので、いつもの冷めている時と違って香りがとても良かった。

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もう一個食べてしまった。とても美味しいので、数日で食べる予定だが、ついつい一晩で食べられる気持ちになってしまう。

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実は、散財しているが、節約ばかりして貧相な生活をしていると、気持ちが沈む。そうなると、金も得られなくなる。汝、散財せよ、明日は倍稼げ。これが私の座右の銘

 

今日のメイクは、上記の通りヴィセだけど、ピンクと水色の二色使いで上手くいった。髪も綺麗に巻けた。

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いつも同じ服だが、この時期はこのモヘアニットが凄く暖かい。

このニットの店、少しお高くて、これも1万円ぐらいしたのだが、服がフランスからの取り寄せ品ばかりを扱っていて凄く綺麗なのだ。それでも、その為か、比較的年齢高めのマダムが客に多い。若い子からは敬遠されている。駅ビルなのに。

その為に年配に見えないか?と不安ではあるが、服は着ている人がその美を決める。TPOは大切だが、私は好きな服を着ろとの意見には反対の立場をとっているが…、だって、似合わなかったらキチガイみが出てしまう…、やはり、モデルが美しければ、服はボロであっても美しく映るのではないだろうか。

その為に、自分磨きには余念がない私だが、ここのところ、美顔器とパックはサボっている。

今日はトレード完全に休みたいとの意志から、トレードの分析記録もつけていない。いつもエントリーなしでもつけているのに。

 

女性は大変だよな。

ビル・ゲイツと結婚してても、でもブスじゃん!で片付けられる。

知的に優れていてトレードで勝てても、美人だったら僻まれる。

それでも、そのプレッシャーの世界のお陰で、女性の見た目は長い人類の年月でどんどん美しくなったのも事実。美しいことは罪だろうか。寧ろ褒章ものだと思う。

 

上の写真、よく見たらメイクが分かりにくいので、もう一枚。

リップはシャネルのダークレッドだが、その感じが写真では出にくいのは少し悩みだ。

綺麗なのに。

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人生、金を得るに従い年々楽しくなるなと思う。

若い頃は、スクールカーストに悩んだ。その為に恋もすべきと思い込んだ。

しかし、金がその悩みを解決して、結局階級の上にいたら、恋愛や結婚なんてクソだと思う。

恐らく、女性の中には、男性の気を引くわけでもなく、ただ、階級の上でいる為だけに、自分の広報の為だけに美しくいようとして、それを誇示する私のことは、気に入らない人もいるだろう。

しかし、私は、そのギスギスした空気に包まれて萌えてしまう。何か一種悦楽なのだ。

こんなこと書いたらまた読者が減るだろうが、性癖が狂っているのだから仕方ない。

恋愛が楽しいと思わない。多分、好きになってくれる人がいたら嬉しい反面、心からその人を好きだと思ったことはないだろう。スクールカーストの上でいたかっただけ。

 

しかし、年を取れば、大抵の娯楽は金で買え、金で買えるなら、金の有無に左右されない恋愛の価値を重んじなくなる。それが年をとることの利点の一つだと私は思っている。

若い頃の悩みは、やはりどれも些細なもので、友達に嫌われても、大人になれば、その人が持たざる者なら、離れてくれてどうぞとしか思わなくなる。

階級で人を判断してはいけない。しかし、それは、難しい。それが、資本主義の交換価値なのだ。

 

ちょっと思いつきで節約生活をしているのだが、お金を使わないというの…残念すぎる(*‘ω‘ *)

ちょっと節約生活をしている。

単純に、無駄をどこまで省けるか、不要不急の出費をどこまで減らして、減らしても豊かに暮らせるか?これが気になってしまって、半月~1ヶ月してみることにしたのだ。ザ・ニート的な生活をしようと思った。

 

一応言っておくが、このブログのグループはニートになっている。

 

一応月収100万ぐらいあるネオニートではあるが、実家暮らしなので、ニートでいい。

 

まず、1週間に4冊~5冊ぐらい買っていた漫画を買うのをやめて再履修をする。今読んでいるのは、チェンソーマンで、面白いかというと一回目よりも考えて、ここはそう言う伏線だったのか…と理解できる面があり、面白い。

それにチェンソーマンは、女性の描かれ方が魅力的であり、扱いも自然なので、そこもいい。フェミニストとしても快く受け入れることのできる作品だ。

私は、性愛描写が嫌いなので、チェンソーマンでデンジがパワーに一切エロさを感じないというのがよく、ヒロインが恋愛に巻き込まれないのは、安心できる。

他にもアキとデンジのコンビも対等感があっていいと思った。最初に殴り合いの喧嘩をするが、その後の、お互いに不毛だと思った理性的描写もいい。

 

チェンソーマンの前は鬼滅の刃の再履修をしていたのだが、これも面白かった。一回目よりも、印象に残るシーンが多く、面白く感じた。

 

ところで、この再履修ラッシュが1ヶ月以上続いているので、気になる漫画の1巻目をチェックする目的でkindleに買ってダウンロードする以外はそこまで漫画は買いこんでいない。

 

次に、読書だ。読書も、比較的積読を解消しているのだが、そもそも積読だった『パックス・ブリタニカ』と言う本は、持っていたのが上巻だけということもあり下巻を昨今買った。その為、完全なる節約ができなくて、ちょっと悲しくなった。今、上巻を読み終わって下巻を読んでいる(2021年2月4日)。

その他にも、この期にと思って、kindleではない本を二冊買った。この三冊で、大体5000円ぐらい使ってしまった。収入からすると端金なのだが、節約スイッチが入っている時は、残念な気持ちになる。

 

しかし、数年前にライングループで一緒だったあるトレーダー。私が刀剣乱舞好きだと言ったら、それ関連の書籍を電子で何冊かプレゼントしてくれた。もちろん、ライングループにいた人間は、私以外もダウンロードできる立場にあったが、私が好きと言ったことで気遣ってくれたのは、凄く嬉しかった。その書籍が何冊かまだ残っているので、次はそれを読むとして…多分、4月まで本は買わなくて良さそうだ。

Amazonを見ていると、欲しくなる気になる本は沢山ある。

ところで、私が読むのは、歴史書か金融か経済だ。専門書や話題本は読むが、ビジネス書や自己啓発的な読みやすいものはあまり読まない。

その為、読書に時間がかかってしまう。

 

今気になっているのは、シュウウエムラの、クロマチックという2月10日にネット販売を始める春の化粧品。アイシャドウとリップを買おうかと思っている。

節約したいけど、それでも、その生活を豊かだとは感じられない。

ずっとお金を使っていないと、どこか閉塞感みたいな気持ちもあり、やはり、散財は最高の快楽だと認めざるを得ない。

 

来週には外出の予定もあるので、いつものカフェで朝食を摂りたい。

その際も、大体2000円ぐらいの散財になるだろう。

そして、バレンタインが近いので、父親にリンツでチョコレートを買いたい。このリンチが多分5000~8000円ぐらい。母親にも和菓子をプレゼントしたいので、これにもお金がかかる。

しかし、この手の交際費は別だろうと思う。いくらかけても構わない。特に、私は、大学を奨学金なしで行かせてもらっているので、生きている間に親孝行したい。その為にも、月収数百万に早く到達したいものだ。それには数年かかるだろうとは思う。

 

ラッシュの化粧品もなくなりかけているので、石鹸を衝動で買うことはないが、必要なパックや洗顔料は買わないといけない。これも散財だ。

 

こう書いていくと、節約と言いつつ結構使っているのだなと思った(*‘ω‘ *)

 

1ヶ月の出費を4万円程度に収めたいと思っているのだが、やはり、10万は使う。ラッシュ費とオーガニックの化粧品代が高い。そして、本も、専門書が多く、安くて簡単なビジネス書を読んでいるわけではないのでかかってしまう。

 

金を使わないのは豊かなのか、今に満足するのは豊かなのか。

これについて考えたい。

 

私の生活が使い過ぎか使い過ぎではないか…私にしてみたら、節約している。外食も1ヶ月に2回程度に抑えている。もっとも、安い店に行けばいいのだが、焼肉一つでも高い店に行っているので、それも金がかかる原因だ。しかし、美味しいものを食べたい。

 

金を使わない癖があるというのは、自然なのか、自然ではないのか。

ここまでブログを書いて気づいたのは、答えが出ないということだ。

所詮は、どっちが合っているかというだけのことなのだろう。

 

今、パックス・ブリタニカと言う本を読んでいるが、大英帝国時代の英国人も、娯楽や暇つぶし、気晴らしにかなり金を使った様だ。主に酒。

しかし、彼らが真に満足することはなかった。より満足したのは、使命感を持って仕事に取り組むことのできた、もっと上の階級の人達だったらしい。

今の時代にも通ずるものがある。

ある程度責任のある仕事を任されている人の方が、人生は楽しい。そして、金があればそれだけ質のいい娯楽にアクセスでき、QOLも高まる。

結局は金なのだ…という結論にいきつく。

 

今日もトレードで勝つ為に、精一杯のことをやろうと思う(*‘ω‘ *)

 

今日は、マグロ丼を食べた。

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これだけだと、栄養バランスが崩れるので、サラダも頂いた。

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正直、今、ブログを書いているのは、少し読書に疲れてしまったからというのがある。

難しい本で1ヶ月に3冊というのは、ハードルが高い。仕事してなかったら、完全ニートだったら楽勝だが、働きながらだろ少し大変だ。

しかし、仕事を病欠していた時期、読書が捗らなかったので、休んでも私は結果が同じみたいだ。

この後、風呂に入って、チェンソーマンを読みつつ、夜は映画を観るか、また読書をするか。まだ決めていない。明日は仕事がある。

 

結局、有意義に過ごそうと無理をした、休まらない休暇だったw

求められているのは多様性ではなく、人生の選択肢の多様さだと思う(*‘ω‘ *)

先日、組織委員会の森元会長の女性蔑視発言が問題になった。

私個人としては、日本の80代のおじいさんがあの様な発想を持っていることにも驚かないし、日本人の場合女性もフェミニズムが真に求めているものが何かについて真剣に考える人が少なく、男性に養ってもらいたいと思う可哀相な人が多いので、ああいう男性を育ててしまう土壌について、何の感慨も抱かない。ただ、予定調和だと。

 

しかし、その際メディアに出てきた『多様性』という言葉には少し考えてみたい気持ちが湧いた。

多様性とは何か。正確に広辞苑で調べるのは苦手なので、自分自身が多様性と言う言葉で思い浮かぶものを挙げてみる。

様々な個性。その個性の尊重。全ての個性が平等な価値を持つ世界。人権の尊重。基本的な権利。生まれなど努力で変えることのできない特性で人が差別されない世界。等々。

これが、望まれる可能性も、確かに否定できない。

しかし、私個人としては、多くの人が望むのは、特に女性が望んでいるのは、多様な生き方や人生の選択肢ではないかと思った。

多分、多くの女性は、もし選択肢があるなら、許されるなら、そこにチャンスがあるなら、結婚して家庭に入って子供を産むのは絶対に嫌だ…そう思っているのではないだろうか。

何故、そう思ったかと言うと、私が正にそうだからだ。

 

過去に、本当にお金もなく、鬱病にもなり、もう人生に希望が持てず、私が生きていくには結婚して家庭に入るしかないと、絶望した時期があった。

幸いにも容姿に恵まれていたので、金持ちで私と結婚したい人は沢山いた。

そのほとんどは、典型的な現代の若い日本人男性で、昔の亭主関白ではない。だから、幸いにも、私が喩え専業主婦だったとしても、家事を手伝ってくれるだろうと期待できる。

過去に、トレードのライングループで、『家事しない専業主婦っている意味ないのでは?』と言った20代男性がいたことも思うと、自分の結婚についての恵まれた環境に、その全てを捨てた今、少し驚きと感謝を禁じ得ない。

 

ただ、不幸にも、『わきまえた女性』を可愛く演じることによって、家庭内で鬼嫁的地位を築き、外の仕事で自分の能力を発揮することもなく、平穏に生きていきたい。可能な限り他人の評価にさらされたくない…、そう言う考えを持っている保守的な女性たちと、数年前、私も関わりがあった。当時、これの間違いに気づけなかった。

だからこそ、鬱病になった時に、それがある程度回復に向かってからは、私と結婚するということに躊躇いが、一時的になくなっていたのだと思う。

しかし、その世界には絶望しかなかった。自分は、一生この人の存在を我慢して家庭で生きていく以外に道がないんだ。哀しくても笑って、ニコニコと、愛想よく。

その保守的女性たちの一人が言っていた。女性は男性の何倍もの辛さを我慢できる。男性はそれに気づかない。恐らく、家庭に入るとはそういうことだ。彼女たちの苦悩が、同じ立場にたったその時、初めて自覚された。

 

でも、女性らしさは奴隷らしさと、ある文献で読んだ。

少なくとも、日本や保守的女性たちが重んじる古き良き女性らしさって、奴隷としての生き方だろう。

今、家庭に入ることは、相手の男性が20代~30代と若くても、日本のフェミニズム後進国ぶりを思うと、そう感じざるを得ない。

 

私は、鬱病で、結婚しか道がないけど、それも苦し過ぎると絶望して、鬱病からの回復を遅らせた。

ところで、コロナ禍で、女子高校生の自殺が増えていて、その重たる理由は、鬱病らしい。

 

私は感じたように思うのだ。森元会長の発言に反発した女性たちが求めたのは、男性と女性が平等に見て貰えて、両方の価値が公平に評価される世界ではなくて、結婚しなくてもいい、誰にも結婚と出産を強制されない、消去法で家庭を選ばざるを得なくならない、そんな社会だったのではないだろうかと。

 

常に、男性というだけで下駄をはかせてもらえる日本人男性には想像できないだろうが、医学部での女子減点事件でもあったように、女性というだけで、どうせ結婚出産でキャリアを諦めるからと、企業には育ててもらえない。男性と女性が同じ成績なら、男性が優先的に出世させられる。そして、その中でセクハラに悩みつつ、男性には、愛想のいい人物でいないといけない。それを強要してくるに日本企業。そんな中にいたら、きっと、結婚してたった一人の男性の存在を我慢して生きた方がマシと思えるだろう。

それでも、今の時代、女性でも所得を得てきて、森元会長の時代に比べたら、まだまだ遅れているとは言え、ジェンダー平等にも関心が持たれる様になってきている。

それなら、出世が少し不利になる女性であっても、一人の男性の存在を一生我慢しないといけない結婚をしないで一人で細々と生きていきたい。そう思う女性もかなり、森元会長の時代に比べたら、増えているのではないだろうか。

 

しかし、その時代において、この国の政府は、独身にある程度課税して、生きづらくして、無理にでも結婚して子供を産ませようと政策を変えてくるのだ。

その中で、一人で豊かに生きていきたい女性が危機感を募らせても不思議ではない。

 

ある本にあった。女性晩婚化と一番相関がいいのは、女性の高学歴化であり、一番幸福度が高いのは、独身女性だそうだ。

この天国の様な環境を、女性は手放したいだろうか。

女性は、男性の為に存在しているわけではない。結婚するのも、結婚しないのも、どちらも等しく障害なく選べる世界が、真に望まれているのではないだろうか。

この社会の産めという圧力、キリスト教由来の一夫一妻制、それの強要。全ては男性をあぶれさせない様にする為であり、女性の利益を最大化するものではない。

ここに気づいていないのは、政治家だけではなく、保守的な考えを持つ若い人も同じだろう。

 

私は、ある程度年配の人と話すと、貴方の世代は結婚も出産もしないで済んでいいわね、このままの時代が続くといいわね、と理解される反面、若い世代と会話すると、老人たちのせいで自分たちは結婚できないと文句を言う人がたまにいる。結婚と出産は貧乏でも叶えるべき人類の人権の一つだと。

しかし、結婚で得するのは、常に男性なのだ。男性は結婚していた方が寿命が延びる。

女性は、男性が思うほど結婚したいとも恋愛したいとも思っていない。

この自由を手放したくないと、ほとんどの女性が思っている。その空気を、森元会長の発言に対する反発から感じた思いがした。

一部の人は、森元会長みたいな人が未だに権力の地位にいるから、若者が結婚しないと言うが、そもそも、誰が権力者だろうと、結婚したくない人を結婚しなければ貧困に陥る…これが言いすぎでも、豊かさを失う、そうなる様に課税していいなんてことはない。

どちらも自由に選べるようになるべきなのだ。

 

男性や女性という多様性が要求されたのではない。

恐らくは、女性が要求したのは、結婚しなくても豊かに生きていける、課税されないで済む、結婚を強要されない権利ではないだろうか。

結婚は女性のセーフティネットと言われている。それは、上でも書いた通り、鬱病になった時に、私も実感した。

しかし、今、女子高生たちが自殺しているのは、仕事して前向きに生きられる環境じゃないことを悟りつつも、それなら結婚するしかないと思って、でも、結婚なんて耐えられないと思ったから、命を絶ったのではないだろうか。

 

私は、トレードである程度の収入を得たら、自然と外の仕事に応募することができた。

それと同じ様に、独身でも豊かに生きていける所得を女性に与えたら、その余裕のできた女性たちが自然と結婚する。結婚を必需と考えるのではなく、やってもやらなくてもいい人生の選択肢、そう全ての人が思い、安心して、自分の人生を選択できる自由な環境、それこそが真に望まれていることだと思う。

そう、求められたのは、きっと多様性ではなく、人生の選択の自由だと思う。