まず最初に前置きとして、ここ2週間ぐらい目次つきのブログを書いていたのだが、思いの他アクセス数が下がってしまったw
個人的には、徒然と書くブログについて、自分の書き殴りと記録用としか意識していなかったので、そこにアクセスが集中していた現実に驚いている。
私の日常の書き殴りに需要があったと…w
だから、目次付きが疲れている時は、徒然とした内容も書いてみようと思う。
何となく、今日は、ここ数週間考えていたことについて書いてみようと思う。
以前、こう言った人がいた。
『人間の欲望には限りがある。しかし、集団になったら限りはない。』
近頃、これについて考えることが増えた。
私は、大学生ぐらいからその後の10年間ぐらい、自分の買い物意欲を抑えるのが難しくて苦労した。
その後、2年ぐらい鬱で苦しむから、鬱前の躁期で、物欲などが少し上がっていただけだったのかも知れない。それにしても、10年間も自身の数々の欲望に悩まされることがあるとは…と驚くが。
しかし、大学生と言えば、毎日大学へ行って友達と会う。バイトもして、バイト先の同僚とも頻繁に会話して、学校やバイト先以外でもそれらの友達とオフを楽しむ。そう言う生活をするはずだ。
そうなると、友達の服装を見て、『あれ可愛い!!』と刺激を受けたり、その可愛い服を着て、一緒に学校で使う可愛いノートを買いにいったり、メイク用品を一緒に選んだと思ったら、帰りに一緒にカフェに入ったり…結局金を使う箇所は凄く多いのである。
今、こういう友達がいたことを懐かしく思う。
現在の私は、30代なのだが、友達と遊ぶことはなくなった。
気楽にフリーランスしつつ、暇な時間に外で働くだけの生活をしている私と、フルタイムで都内でエリート的なキャリアウーマンをやっている人達とは、生活リズムが合わなくなったのだ。
私は、平日はトレードをして、土日に外で仕事することにしているのだが、トレードは、朝起きて見ないと、その日にエントリー機会があるかないかが分からない。その為、前もって計画して遊ぶのが難しくなっている。
計画して約束するのが億劫になってしまった理由は、それだけではない。
2年ほど前に鬱病になってからは、治ってからも、また調子を崩して遊ぶ約束をキャンセルするはめになってしまうのではないかと、不安が結構あるのだ。
そうなると易々と約束はできない。
とにかく、数々の要因により、友達と遊ぶ機会が失われてしまった。
その中で考えたのが、自身の物欲についてだ。
この友達と遊んでいた頃は、一緒に遊ぶと、相手の服装を可愛いと褒め合い、いいなと言ったら、その足で一緒に買いに行ったりしていた。
もちろん、お互いに全く同じものを買うわけではないいが、一緒に服を選んで沢山衝動買いするのは楽しかったと感じる。
しかし、今、そういう関係性の友達がいないせいなのか、今一服を買わなくなったと感じる。
もしかしたら、歳をとって物欲がなくなったのかも知れないと思ったのだが、恐らくはそれだけではないだろう。
刺激が少ないのだ。
今でも遊ぶ友達はいるのだが、その友達のほとんどが、ネオニートと言うやつだ。
20代前半に自身のビジネスでそこそこの富みを築きつつ、30代に入ったら、一定の収入を得つつある程度裕福に過ごせている勢が多い。
自分がネオニートになったせいもあるが、そう言う友達が当たり前になった。
ただ、全体的に友達が少ないのではないかと思ってならない。
数年前からネットのオフ会に出ることが多かったから分かるのだが、ニートというのは、金を使わない。ないから使わないというのもあるし、大抵のニートが月収5万程度しか得ていないので、使えないというのも理解できる。
しかし、それだけではなく、物欲がない僧侶の様な印象を受ける。
私なんかは、昨日は、ルイ・ヴィトンのスマホケースを探していたが、エクスペリア用はなくて、仕方なくカードケースを買うことにしたのだが、大抵の月収5万円ニートは、数千円の財布しか持っていない。
しかし、私も月収5万円ニートだった時は、COACHの財布で我慢したので、ニートは単純に金がないだけなのかも知れない。
それでも、ニートをずっと続けていると、髪を切るのも1000円カット、暇な時はスーパーやドラッグストアへ、食事はファーストフード、着ている服はユニクロになりがちだ。まるで低年金生活者の様だ。
これは、欲望がないからだと思うが、きっと根底には、貯金を使い果たすことへの恐怖と、まとまった金が入らないことから来る不安があるのだろうと思う。
しかし、彼らのほとんどが、月収5万もあれば、親から受け継ぐ古びた不動産に暮らして生きていけるので、逃げ切れると考えているのだ。その結果、稼ごうという意思がない。
この人達を見ていると、進撃の巨人という漫画に出てくる、壁の中は一生安全だから外に出たくないし、豊かになる気もないと言っている一般庶民を思い浮かべてしまう。
私自身はというと、上にも触れたが、4月は70万近く娯楽に使ったのだが、それ以外の月は大体20~30万ぐらいしか使っていない。
大学の頃はバイト代などで、月10万程度しか使っていなかったから、その程度の物は当たり前に充足させられるので、これ以上は金を使わなくなっている。
これを、一人でいるから欲望がなくなったと捉えるべきなのか、十分に金があるから余るだけと捉えるだけなのか分からないが、私は、一人でいるから欲望がないという推理を推したい。
やはり、人間の欲は同レベルの人に囲まれることによって促進される。
金持ちがブランド物を持っているから自分も持とうと思う。
友達が高いフレンチを食べているから、自分も食べようと思う。
友達が可愛い服を着ているから自分も着ようと思う。
等々だ。
スタバにしか行かない友達しかいないのなら、きっとスタバ通いが当たり前になってしまうだろう。
外の世界は、友達との輪の中で見せて貰えるものだと思う。
故に、友達のいない人は、欲望がない。
私は、スクールカーストの上の方にいたことが普通にある陰キャなので、友達といた方が欲望が湧くと経験則で分かっているが、ほとんどのニートは発達障害とか持っているので、その関係上、学校での順列が下になっている経験が当たり前だ。
高校時代から地味だったとしたら、服を買う習慣はないだろう。
そのままニートになったら、外の世界を知らず、結果として金を使わないニートになる。
それだったら、月収5万で生きていけるかも知れない。
そういうノーリスクで刺激のない人生の何がいいのか、私には分からない。
でも、私も、過去にずっとスクールカーストの下を生きていたとしたら、彼らの様に、進撃の巨人という漫画に出てくる庶民のごとく壁の中で満足する生き方はしなかっただろうと思う。
Twitterでイオンデートと言う言葉が話題になった。
私は、ガチで、本物のイオンで高校時代にデートしたことがあるのだが、それが楽しかったかと言えば、この言葉をTwitterで見た時、『ああ、あれかwイオンデートww』という認識しかなかった。
しかし、それを人生に関係ないと捉える人も多い反面、ほとんどのニートに経験のない青春だということも私は理解している。
その諦めと挫折が人生の根底にある彼らが、壁の外に出ることはないだろうと思う。
月収5万と言えば、大学時代だとバイト代でそれぐらいしか稼いでいない人も結構いた。
しかし、その彼らのほとんどは、海外旅行を楽しんでいる。
私の両親は、もう高齢なので、海外旅行はできないだろうと思う。精々私が星野リゾート行きを奢ってあげる程度だ。
それだからこそ分かる。
若い内に海外旅行しておかないと、行けるだろういつかは一生来ないし、行けないまま終わる。行ったことがない人が興味ないと言っているのを見ると、狐の葡萄しか思い浮かばない。
月収5万がほとんどのニートの不労所得だが、それだけ得ているなら年間に1回は海外旅行ができるはずだ。まずは世界を見てみた方がいいと思うが、連中の挫折感からは、それを敢行する気概が感じられない。
しかし、海外旅行と言うものも、友達が行ったのを見て、私も行ってみようと思うものなのだ。友達がいないなら、きっとその良さも分からないだろうと思う。
近頃、私は、『記憶にございません』と言う言葉をよく使う。
『その所得をどうやって得たか記憶にございません』という意味だ。
月に70万使っても、何故か収入を使い切ることが出来なかったことが今年あったのである。
その月は、たまたまコロナショックの乱高下のお陰で、ダウ平均先物での売買でかなりの収益があった為かも知れない。
しかし、ダウ平均先物を弄ったのは、後にも先のもこれが最初で最後になったので、事実上のビギナーズラックだ。
しかし、それを恒常的にすべき毎日努力している。
ニートには、友達もいないが、ビギナーズラックもないのかも知れない。
ビギナーズラックが一度でもどこかであれば、あの甘い汁をもう一度と思うはずだ。そこに可能性が見えるからだ。
そして、その明るい顔が人を惹きつける。
友達がいないニート。金を使う明るい気持ちになれないのかも知れない。
そんなことを、ここ数週間考えていた。
書いていて気付いたが、自分の欲望が薄くなっていると言うのは、間違いだったかも知れない。
大学時代は、バイトで月10万しか稼げていなかったから金がなかっただけだ。しかし、今は記憶にないぐらいの金を稼げることもあるので、70万とか月に出費しているなら、今の方が欲望はあるだろう。
題名に反するが、金がないから欲望がないの間違いだ。