以下の本を先日から読んでみた。
この著者を私はTwitterでフォローしている。
この著者の書き込みを見たのは偶然で、拡散してきたものだった。
共感できるかは別にして、凄く的を射ていて納得できる内容だったのだ。
私は、ネットで顔をさらしているので、もしかしたらこの著者がTwitterで呟いていた『ファッションブス』というものかもしれない。
ブスを名乗るが自分では決してそうは思っていないというものだ。
私自身は、人生で容姿は人並み以上に評価はされてきたが、自分を心から美人と思うかと言うと難しい。
昨日見たアメリカ映画の主人公の金髪の女性の方が美しいと思う。
しかし、それでも、自分の人生には合っている容姿だと思っている。
見た目は生き様だ。
それならば、生きてきた人生が好きなら、それを体現した今の自分のことも好きでいられるはず。
私の人生を真似たい人ばかりではない世の中だと思う。
でも、誰に認められなくても私は自分の人生が楽しいと思うし、それを体現している自分の容姿が好きだ。
そんな私は、この著者にフェミニズムの要素を感じて興味を持った。
別の本で読んだことがあるのだが、女性は生まれてからずっと、望んでもいないのに、美人コンテストに参加させられる人生を歩まされる。
その意味では、世界一の美女であろうと、誰もから蔑まれる容姿を持っている人間だろうと、容姿で評価される世界に物申したいのではないだろうか。
もちろん、容姿で得するのが女性の生き方だということを説く、フェミニズムに物申す本もある。
一応紹介しておく。
少し話が逸れたが、著者がこの『未来を決めるのは私だから王子様も魔法もいらない』という本や日々のツイートで言いたいのは、『美人と同じ人生を歩みたいとは思わない。ただ人並みに、普通の人生が欲しい。』というものだった。
ブスというだけで、最初からマイナス評価をしないで欲しい。
ブスというだけで、どれだけのマイナス評価を日々受けているか。
それを、本でも、ツイートでも語っている。
別の本で読んだこともあるのだが、『女性はキャリアの面で成功していても、『でも、ブスじゃん』と否定されることがある。』と言う話がある。
これは、私自身女性として生きていてこれは感じる。
それと同時に、『あの子、彼氏いてもブスだよね。』『あの人、ブスだけど結婚してるんだ。』などの酷い言葉も数々の人に吐いてきた。
当時は、フェミニズムをはっきりとは知らなかったのだ。
女性を容姿で評価するのは、男性が作った都合のいい世界に過ぎないということを、知らなかったのだ。
当時、気づ付けた女性については、本当に可哀相なことをして、申し訳なかったと思う。
ブスと言うだけで、いいことをしてもマイナス評価。やっとプラスマイナスゼロに戻るだけ。
美人がいいことしたら、そのままプラスが加算される。
スタート地点が全く違う。
この著者は繰り返しそれを述べている。
よく冗談で美人に課税と言う話が言われる。
アニメなどでもイケメン税と言う言葉を聞いたことがある。
美人から金をとれや、美人も大変と言うならブスに整形しろと言う冗談がこの本にも出てくる。
それでも、確信持って言える。
美人たちが金をとられてもブスに整形することはないだろうと言うこと。
『ブスだけど彼氏いるんだ。』これに近い言葉を言った時、私は、この様にも言ったことがあった。
『絶世のブスとしてビル・ゲイツの妻になるぐらいなら、白雪姫になって社会の最底辺で生きていきたい。』
そうなのだ。これぐらいの金銭格差をつけても、結局美人が得する世の中が何故かできている。
ブスだったら、金持ちと結婚して家庭に入ってもどこかで馬鹿にされる。
しかし、美人であれば一生をフリーターとして生きたとしても勝ち組だ。
50歳になればこの差は埋まるとも言われている。
しかし、アンチエイジングが進んだ現代は60代までこの差が生きるかも知れない。
しかし、フェミニズムに触れて、これは、男性が作った男性にとって都合のいい社会であると知らされた。
この社会と戦うには、容姿で人を判断するべきではない。
そして、容姿で人を貶す人の評価を期にすべきではない。
本来なら美人コンテストを全ての女性に課す世の中は変わるべきなのだろう。
王子様を美しさで得るお姫様になることも、シンデレラの様に魔法で王子様を得ることも必要ない。
自分を幸せにするのは自分自身。
そういうタイトルに惹かれた。
過去のフェミニストたちが戦ってくれたお陰で私たちには参政権も働く権利もある。
もう、男性の容姿に対する評価の為に女性同士が争い、男性の稼ぎに頼って結婚しなければいけない時代ではない。
自分の幸せは、仮にブスだったとしても掴めるのだ。
私はふと考えた。
『絶世のブスとしてビル・ゲイツの妻になる人生は嫌だけど、白雪姫みたいな絶世の美女になって社会の底辺で寂しく生きることもできない。でも、女性でもキャリアを築き成功したら、その人生では、特別美しくない自分のことも好きになれるのではないだろうか。』
他人の可愛いという承認でしか生きられない白雪姫なら、それは、ブスな富豪の妻と同じではないか。
他人に生きていていいと言われないと生きていられないなら、それは寂しいことではないか。哀しいことではないか。
きっと、自分の人生は自分で承認するしかないのだ。
その世界では、きっと、容姿に対する批判はあまり身に沁みないだろう。
自分の姿は自分が一番好きだからだ。
自分を好きになれる人生を歩もう。
それと同時に、自分を好きになる人生を歩んでいる誰かを、『でもブスだよね。』と男性社会のルールに従って貶すべきではないのだ。
共産主義の世界では、美しさも、王子様に選ばれる力も、魔女になれる能力も、全て平等に評価されると聞いた。
その意味で、美人も才能だから、ブスと同じ評価と資産を得るべきとは思わない。
美人はその才能を生かしていい。
でも、それが男性によって作られた社会のルールに過ぎないということは、忘れないで欲しい。
男性が強い社会はまだ数十年~100年程度は続くだろうと思う。
それならば、美人コンテストを好きでやる権利が脅かされることはない。
しかし、何故ブスだからとマイナス評価され、それで人格を否定され、それでも、何故そんな社会なのか分からない一部のブス達。
そんなフェミニズムを知らない彼女達は、どう戦ったらいいかも分からない。
その社会は私もおかしいと思う。
この著者も、ブスということで辛いと思ったら、社会のせいにしていいと言っている。
特にフェミニズムには明るくない著者だろうとは思った。
でも、社会の歪みについてはよく考えて自分の足で生きてきた人間である限り、私みたいに勉強しなくても知っているのだなと心から凄いと思った。
この本は、読んでいて、ブスだというだけで何故、ここまで悩まなければいけないのだろうなと思った。
美人が美人と言うだけでプラス評価される社会は確かに正しい。
しかし、ブスがブスと言うだけでマイナス評価される社会は間違っている。
この点には、心から同意できるものだった。