2021年1月も、まずは月収100万を目指している(*‘ω‘ *)
2020年12月に、これを始めて達成した。
2021年12月には500万欲しいが、まずは安定的に100万を稼ぐことからだろう。
私がある程度収支が安定するきっかけになったのは、レジスタンスやサポートを意識するようになってからだ。
レジスタンスやサポートの見極めには、元からセンスがあった様だ。
しかし、それまでには、ファンダメンタルズや移動平均線など、色々な勉強をしている。
レジサポはラクダの最後の藁だろう。これがきっかけになっただけで、全ての集大成だったのだ。
ところで、トレードには、禅の心得が凄く役に立つと思っている。
些細な事が良き収益に結び付くのだ。
姿勢を正す、部屋を整理整頓する、人に快く挨拶する、質素倹約を心がける、断捨離をする、基本はミニマリストとして生きる、毎日の日課を大事にする…リラックスする…等々、数えればきりはないが。
それでも、思うのである。
こういう礼儀正しく上品な生活ができる為には、未来に対する希望がないとできないのではないだろうかと。
同時に、未来への希望は、自己評価を均衡に保つ。
未来がないと、自己評価が過大になり、自尊心が肥大化して、インセル的犯罪者と同じ雰囲気になってしまう。そう感じる。
未来は、具体的にないとダメだ。
多分、親からの小遣いに合わせて、月収8万程度だった時、未来はなかっただろう。
それでも、ニートでは、そもそも収益を上げている人が少ないと言う、下を見て安心する心理から、これで、自分は勝ち組と勘違いできるから凄い。ニートは精神衛生上よくないと心底感じる。
少し話が逸れたが、未来があると思うと、色々なことに積極的になれる。
日記を書く、手帳を買う、初詣に行く、動物を飼う、外で働く、等々だ。
特に、ニートにとって、外で働く、これは未来がないとできないだろう。
しかし、未来のないニートと未来のあるニートの生活とは、似るものだ。
質素倹約、ここが、本当に似ている。
私も、本当に100億儲けたら、変わるかも知れない。しかし、今は所詮は月収100万だ。
しかし、この辺りから、親に贈り物をするようになり、リアルな絆を大事にできるようになるのも事実。
実は、私は、親に正確なトレード収益を隠している。
だから、この前、『アップルウォッチ欲しいの?買ってあげようか?』と言ったら、驚かれた。
それでも、あまりTVを見なくなるとか、SNSに没頭しなくなるとか、その傾向は、はっきり未来が描けてからだろうと思う。
未来が描けないと、過度に、自分のトレードでの成功やブログで有名になれるという夢想にニートは耽るものだと思う。
しかし、彼らに先立つものはない。その中で、インセル化せずに済むには?基本は禅の意識だろうと思っている。
そのせいか、収益の少ないニートは、禅の心得ができているパターンがある。恐らくは、稼ぎだしたら豪遊すると思うので、狐の葡萄だとは思うが。
私は、100万稼ぎだした瞬間に、足を組まなくなった。姿勢も正しくなった。毎日日記が書けるようになった。ブログではなく、紙の日記だ。
そして、ラッシュの化粧品を沢山使い、風呂の時間を充実させる意思はより高まった。
何故、未来のあるものと、未来のないもので、その生活スタイルや思想がたまに似るのだろう。
トレードは特殊だと思う。常に精神鍛錬、知性鍛錬、全てが必要だ。
その意味で、トレーダーで禅に興味を持つ人間はいるだろう。月収100万に満足するのは簡単だ。しかし、どこかで、100億稼いで一流トレーダーになりたい、この技術を極めたい、1000億稼いで世界的なトレーダーになりたい、その意識があるのだ。
その為には、どこかで自分を律しないといけない。私の中では、それが禅であり、ミニマリズムだ。
しかし、持てない者でも、それに満足する為に、我流で禅を学ぶ様だ。
それでも、未来がない者の倹約と、未来がある者の倹約では、その雰囲気は大分違う。
ない者は意識してそれを学び、ある者は、生活の中で自動で実践出来る様になっていく。
物質満足度が一番高い集団がニートだとの統計もある。
ある物で満足する意識は一流かも知れない。
しかし、自由の観点から、それは悲しい生き方だと思う。
彼らのほとんどに聞きたいのは、今日、1億を一瞬で具現化出来た場合、今の生活、欲がない生活を、常に実践するか?ということなのだ。
実際問題は、10億稼いで、欲があったらプライベートジェットが欲しいと言い出すのは、目に見えているので、どこかで欲を抑えないといけないのも確かだ。
持てないニートは、その時期が早すぎただけだろう。
金があっても、どこかで欲を抑制する。だから、持てる者もいつかは禅に行きつく。
早いか遅いかの違いなのだろう。
持てない者は禅を生かさざるを得ない。選択肢がなく、自由がない。
しかし、ニーチェの言葉を借りれば、欲に囚われ競争する人生から降りているので、彼らは超人だろう。
持てる者は、キリがないことに気づき、禅を取り入れる。そこに選択肢はあるが、結果はある程度の抑制に行きつく。
ミニマリストが一部の豊かな層で実践されるのには、納得のいく世界だ。
私は、親が他界した後のことを考えている。誰と会話しよう。
その頃には、トレーダーの友達がいるかもしれない。しかし、低学歴出身とか関わりたくない。フェミニズムが後進的だからだ。
もしかしたら、ソロでずっとトレードするかもしれない。
しかし、感受性は人との間で育つ。もしかしたら、副業を辞めずに、50歳ぐらいまで続けて、その後は、動物関連のボランティアをするかも知れない。動物のボランティアは自分にそこまでの情熱があるか不安で、引け目しか感じない。
環境保護運動もいい。何か生産的なことをしたい。
先日のバルファキスの書籍にあったが、やはり、自分には、ショッピングモール徘徊とか合ってないのだ。
自然の中で豊かに生きたい。
Twitterをやっていると、海外の凄く美しい風景の中で余暇を過ごす海外富裕層の投稿が回ってくる。そういうところには、行ってみたいが、その為には、副業を辞める必要があるので、仕事が好きな自分には辛い選択だ。
人間らしく生きる。これを生涯通して自分の課題にしつつ、禅の心得を、未来ある立場から追求したい。
焼いたベーグルととある日のランチを置いていく(*‘ω‘ *)
野菜は意識して摂る様にしているが、健康管理上たんぱく質が足りなくなりがちなので、意識して摂っている。健康管理には、あすけんというアプリが最強だ。