ダウ平均の暴落を願うドル売り日記(*‘ω‘ *)

基本は億にも達していないトレーダーの日常。トレードも読書も英語の勉強も、趣味もお洒落もダイエットも、全て無理なく楽しく続けることをモットーにしています。小さな努力も続ければかなり大きな成果に。基本成果を早く出そうとするから皆苦しいのだと思っています。

【鬼滅の刃の再履修してます】童磨とカナヲたちの戦闘シーンが一番好き(*‘ω‘ *)

鬼滅の刃の再履修を、1月初旬ぐらいからしている。

私にとって、風呂の時間が漫画の時間だ。

今買いだめしている漫画はかなりの数になり、それがkindle積読になっているのだが、今月は鬼滅の刃が読みたいということで、積読は来月から解消することにする予定だ。

 

鬼滅の刃、一回目から童磨とカナヲの戦闘シーンが凄く好きだった。

ちなみに、鬼推しなので、童磨が好き(*‘ω‘ *)

 それが出てくるのが、18巻~19巻だ。

鬼滅の刃 19 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 19 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 しのぶが死んでしまうのは、もう少し前の巻だと思う。

童磨、私の中では鬼滅で一番共感できるキャラだ。そして、似た台詞を偶然にも私は過去に言ったことがあった。

 

『死んだ後には天国も地獄もない。無になるだけ。善良な人が天国へ行き、悪党が地獄へ行くと思いたいのは、必死に誠実に生きても報われない世界である場合もあり、その反面放蕩の限りを尽くす怠け者がいる。その現実に耐えられない人は多い。』

 

童磨が正確にはどう言ったかはこのままではないが、この台詞は私の人生では覚えがあり、キリスト教などでも、蓄財をする者は天国の門を潜れないと言われている。

 

童磨、感情がないの、今の毒親と言う言葉が幅を利かす世界では、その養育環境のせいだと誤解されやすい。しかし、私には分かる。元から感情のない人間、そして、それについて引け目を感じない人間、そう言う人間は現実にはいるのだ。

しかし、常に重いのは、現実世界では、そう言う人間もきっと感情があるのではないか?と思われることだ。ないものはないと開き直って生きたい。正直迷惑だ。私がそうだから、童磨もそう思うことがあったのではないかと思う。

だから、Twitterで好まれる二次創作の、感情的な歪みを抱えている童磨の漫画などは、あまり受け付けない。

見たこともないが、童磨と伊之助の母親とのカップリングならロマンチックでいいなと思う。

伊之助の母親の夫と姑をサラリと殺した童磨には、痛快さを感じた。

 

ところで、カナヲと童磨は完全に対比になっていると思う。

しのぶ達という新しい家族を得て、炭次郎達と出会い、少しずつ感情表現が多くなっていくカナヲ。そして、それを良いことだと捉えて鬼殺隊にいるカナヲ。

それに対して、両親が心中みたいな死に方して、その前から感情はないが、ないことに理由もなく、疑問もなく、鬼になり、開き直って生きる童磨。

 

その童磨に、カナヲは、『元から何も感じないけど、知恵が働いたから色々な感情があるフリをして生きていた。そうやって誤魔化して生きてきた。』と言い、それに伴う言葉責めに童磨は『酷い』と(*‘ω‘ *)

 

多分、一時的にしろ、感情を封印しつつ、その後どう感情を表現したらいいか分からず、カナエが死んだ時に泣きたくても泣けない後悔を抱えて、そういうカナヲだったからこそ、童磨に対して、感情がないことについて何の引け目も感じない鬼として生きる童磨に対して、ここまで的確なことを言えたのだろうと思う。

 

童磨については、感情がないことの傷などは一切なく、常に恵まれ、奪う側として生きてきた優越感すらなく、淡々としていて、その描き方としては、作者としては、きっと、カナヲの弁で全てだったのではないかと思う。

 

ほとんどの鬼に、鬼にならざるを得なかった辛い過去や、炭次郎からの共感や同情などの念が描かれる鬼滅。しかし、そういうフォローが童磨には一切入らない。元から下衆で、そういう性格の子供で、鬼にならなくても困らなかったが、偶然に鬼になっただけと言う展開。

私は、鬼滅の鬼としては、一番容赦がなくて、一番好きで、一番共感できるかもしれないと思った。

 

童磨は一回目の鬼滅履修の時からかなり好きなので、二次創作で、童磨をイメージしたピアスまでTwitter経由で買ってしまった。

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この作家さんの世界観が好きだ。

私は、進撃の巨人のヒストリアにも共感できるところがあり、童磨同様感情がないことも自分で自覚しているが、感情があった方がいいと思うことも理解できるぐらいには頭がいいので、ヒストリアの様に、ついつい反射で感情があるフリをしてしまう。

その為、実は何か思っているって思われる期待が重い。

もし、鬼になれたら、童磨の様に開き直って生きられるのではないかと思っている。

その鬼として生きる私にとってのツールがトレードだろう。

十分に莫大な金を貯め込み、美しさも磨いた後に、きっと、全ての感情のないことを開き直って堂々と生きられる未来があると思う。

私も童磨の様に下衆なので、嫌われるだろうと思うけど、結局、人を食うこと(トレードで儲かること)が一番の快楽なので、仕方ないのだ。

 

トレーダーの人生は鬼似ている一面があると思う。

富みを作らず富を貯め込む。

経済と言う生命体の血液と言える金を一部抜き取る。金を失うとは、首を切られるのと同じことだ。トレーダーは嫌われるし堂々としていると、課税される。太陽の下は歩けないのと同じことだ。

でも、童磨の様に面白おかしく生きられるなら、それもいいのではないだろうか。

人が煩わしい。そう思うが、生きるのは、楽しい(*‘ω‘ *)