無理なく努力して資産1000億円を目指す…

基本は億にも達していないトレーダーの日常。トレードも読書も英語の勉強も、趣味もお洒落もダイエットも、全て無理なく楽しく続けることをモットーにしています。小さな努力も続ければかなり大きな成果に。基本成果を早く出そうとするから皆苦しいのだと思っています。

『ゴーン・ガール』という映画をAmazonプライムで観てみた(*‘ω‘ *)

昨日、ゴーン・ガールという映画をAmazonプライムで観てみた。

過去に有名なサスペンス映画も作っている監督の作品みたいで、それが気になった理由だった。

 

ゴーン・ガール (字幕版)

ゴーン・ガール (字幕版)

  • 発売日: 2015/03/06
  • メディア: Prime Video
 

サスペンスやスリラーの様な分野だと思うが、私としては、純愛の恋愛映画だったと感じた。

ネタバレ含むので、嫌な人は読まないで下さい。

 

 

 

 

 

 

まず、最初は、結婚に敬意を表さない夫の描写が出てきて、これは 、妻が怒るのも当然だなと思いつつ、やっぱり結婚は嫌だなと思った。

全ての夫婦がこうなるとは思わないが、結婚が忍耐だとか人生の墓場と言われるのは、そのステレオタイプがあるのは、それなりに理由があるものだと思っている。

それに、過去に、最初は恋でも後には愛が残る…みたいな言い方して、結婚における魅力の減価を言葉を濁して必死にロマンチックにしようとしている人間も見た。

結婚には愛しかないから、外で恋を求めたいという女性も見た。

そう思うと、その結婚そのものが色あせた描写として、この映画に描かれているものは、きっとリアリティがあったのだろう。

 

その夫に対して妻は殺人(妻殺し)の罪を被せ、ミズーリ州で死刑になるように誘導する。結婚に敬意を表さない夫に復讐する為だ。

夫の振る舞いを見たら、これぐらい普通だと思った。

それに、私はフェミニストなのだが、フェミニズムは互いに敬意を払わない振る舞いをすることは嫌う。常に男性優位で、それに我慢する妻という、現代の結婚の実在を否定して、より、豊かに互いを対等に大事にできる関係を求めるのだ。

私の主義にも、この夫の振る舞いは真逆だ。

 

それに復讐しようとする妻、ここだけ見たら、この映画もフェミニズムに見える。

 

しかし、その反面、結婚がそうやって減価してしまうのは、全ての家庭がそうであり、結婚したなら我慢しなければいけない現実ではあるのだ。

妻は美人で知性的にも経済的にも、夫より優れた存在として描かれていた。その為、夫と別れても困らない、夫が死刑になってもどこかでひっそり生きていける、そう思っていたのかも知れない。

やはり、経済的に強い妻というのはいい。

この条件なら、確かに、夫の結婚生活を大切にできなかった夫というのは、我慢しなくていいのかも知れない。

ただ、個人的には、そんなことでもし離婚でもしたら、離婚歴だけで人生で10~20行くだろうなと思ってしまう。

それが分かるから、私は結婚は嫌だ。

結婚とはそういうものだ。それを知っていれば、人づてでも知っていたら、妻が少し我儘に見えて、夫に同情してしまう点もある。離婚すれば済む話。それを、わざわざ死んでほしいと思うあたり、少し共感はできないと途中まで感じつつ、少し夫に同情を感じた。

 

しかし、観ていくと違うのだ。

この妻は、本当にこの夫を愛していたのだということが分かる。

愛していたからこそ、自分のいない人生をのうのうと生きられるのが嫌だったのだ。

 

実は、私も、昔ブスと罵倒した女性に、人生を全て失うぐらい苦しんで欲しい、美しいまま苦労もなく一生を生きて欲しくない、ちょっとでいいから、私の惨めな気持ちを味わってほしい…と本気で復讐されたことがある。

きっと、彼女は心から私を憎んでくれたのだ。愛と憎しみは表裏一体で、愛の逆は無関心と言う。私に無関心になれなかった彼女、夫に無関心になって離婚できなかった彼女、憎しみと愛という違いこそあれ、どっちも人として真剣な存在だ。容易く馬鹿にしていいものではない。

 

だから、本気で好きだったら、本気で愛して、そして本気で憎めたら、人間はあれぐらいやるなと思った。

 

日本のヤンデレものだと、男性に都合のいい可愛い(奴隷の様な)女性が描かれる。

普段は強く、一途に健気に、好きな男性の障害を全て取り除くの様に動き、その男性には一切の危害を加えないが、ストーカーの様な行為はしつつ、それなのに、本当のピンチの時、弱音も吐かず男性がそれを察して助けるように振る舞う。男性に文句も言わない、亭主関白の別形態。

鬼嫁というのもそうだろう。女性は家庭に入る為にキャリアを犠牲にした。しかし、男性は、女性の尻に敷かれている演技をするだけで、家庭を円満に保てる。失うものが釣り合ってない。

日本の作品の男女像はこのようなもので溢れている。

 

しかし、この作品にはそんなところはない。

妻が夫を一途に愛して、夫が自分が恋した時の姿に戻ると直ぐに、その夫との再縁を望む。その為に、利用してた男性を不要として殺してしまうのだ。

そして、私だから貴方の為に殺人までできたと。

 

日本のヤンデレのすることは、基本男性の為になっているが、この妻のやることは、一個残らず夫の為になってない。

その点、極めて自立した存在なのだ。この映画、夫がヒモの様な存在なのだが、妻はそれに文句はないのだが、やはり、経済的自立が、この自由な愛を生み出したのだなと思った。

 

この妻と付き合ったことのある男性が過去の像として二人出てくる。

しかし、その男性たちを心から愛したかは分からないが、夫のことは、心から愛していたのだと思った。

 

そして、最後に、今更貴方は普通の女性で我慢できるの?と問う妻。そして、夫もこれだけ自分を愛してくれる妻はいないと思ったのか、一緒に子供を育てる未来を選択するのだ。

 

この映画に、表面上男性の好む女性を演じざるをえないのが、女性の運命みたいに皮肉る描写があるが、理想の家庭を築く為なら、この妻はそれについて何も苦痛は感じていなかったのだろう。

自分がそうなのに何故?とは少し子供っぽい思考回路だが、夫がそれをしてくれなかったことが辛かったのだろう。

しかし、一回死者まで出る修羅場を通ってから、お互いに夫婦を演じざるを得なくなり、夫もきっと、この妻が望むように、理想像でい続けるだろう。

夫も生きていて、妻の恋愛も叶うという、完全にハッピーエンドの恋愛物語。

 

恋愛に生きる女性に自立性を描くことは、結局男性の所得の高い世の中で難しい。

しかし、女性が経済的に自立している前提が、この映画でもあったが、完全に自立した恋愛をしたこの妻は心底応援してやりたくなる。

 

それと同時に、今まで哀れでしかなかった、私に復讐した女性についても愛おしさを感じた。

心から憎んでくれてありがとう(*‘ω‘ *)