ダウ平均の暴落を願うドル売り日記(*‘ω‘ *)

基本は億にも達していないトレーダーの日常。トレードも読書も英語の勉強も、趣味もお洒落もダイエットも、全て無理なく楽しく続けることをモットーにしています。小さな努力も続ければかなり大きな成果に。基本成果を早く出そうとするから皆苦しいのだと思っています。

求められているのは多様性ではなく、人生の選択肢の多様さだと思う(*‘ω‘ *)

先日、組織委員会の森元会長の女性蔑視発言が問題になった。

私個人としては、日本の80代のおじいさんがあの様な発想を持っていることにも驚かないし、日本人の場合女性もフェミニズムが真に求めているものが何かについて真剣に考える人が少なく、男性に養ってもらいたいと思う可哀相な人が多いので、ああいう男性を育ててしまう土壌について、何の感慨も抱かない。ただ、予定調和だと。

 

しかし、その際メディアに出てきた『多様性』という言葉には少し考えてみたい気持ちが湧いた。

多様性とは何か。正確に広辞苑で調べるのは苦手なので、自分自身が多様性と言う言葉で思い浮かぶものを挙げてみる。

様々な個性。その個性の尊重。全ての個性が平等な価値を持つ世界。人権の尊重。基本的な権利。生まれなど努力で変えることのできない特性で人が差別されない世界。等々。

これが、望まれる可能性も、確かに否定できない。

しかし、私個人としては、多くの人が望むのは、特に女性が望んでいるのは、多様な生き方や人生の選択肢ではないかと思った。

多分、多くの女性は、もし選択肢があるなら、許されるなら、そこにチャンスがあるなら、結婚して家庭に入って子供を産むのは絶対に嫌だ…そう思っているのではないだろうか。

何故、そう思ったかと言うと、私が正にそうだからだ。

 

過去に、本当にお金もなく、鬱病にもなり、もう人生に希望が持てず、私が生きていくには結婚して家庭に入るしかないと、絶望した時期があった。

幸いにも容姿に恵まれていたので、金持ちで私と結婚したい人は沢山いた。

そのほとんどは、典型的な現代の若い日本人男性で、昔の亭主関白ではない。だから、幸いにも、私が喩え専業主婦だったとしても、家事を手伝ってくれるだろうと期待できる。

過去に、トレードのライングループで、『家事しない専業主婦っている意味ないのでは?』と言った20代男性がいたことも思うと、自分の結婚についての恵まれた環境に、その全てを捨てた今、少し驚きと感謝を禁じ得ない。

 

ただ、不幸にも、『わきまえた女性』を可愛く演じることによって、家庭内で鬼嫁的地位を築き、外の仕事で自分の能力を発揮することもなく、平穏に生きていきたい。可能な限り他人の評価にさらされたくない…、そう言う考えを持っている保守的な女性たちと、数年前、私も関わりがあった。当時、これの間違いに気づけなかった。

だからこそ、鬱病になった時に、それがある程度回復に向かってからは、私と結婚するということに躊躇いが、一時的になくなっていたのだと思う。

しかし、その世界には絶望しかなかった。自分は、一生この人の存在を我慢して家庭で生きていく以外に道がないんだ。哀しくても笑って、ニコニコと、愛想よく。

その保守的女性たちの一人が言っていた。女性は男性の何倍もの辛さを我慢できる。男性はそれに気づかない。恐らく、家庭に入るとはそういうことだ。彼女たちの苦悩が、同じ立場にたったその時、初めて自覚された。

 

でも、女性らしさは奴隷らしさと、ある文献で読んだ。

少なくとも、日本や保守的女性たちが重んじる古き良き女性らしさって、奴隷としての生き方だろう。

今、家庭に入ることは、相手の男性が20代~30代と若くても、日本のフェミニズム後進国ぶりを思うと、そう感じざるを得ない。

 

私は、鬱病で、結婚しか道がないけど、それも苦し過ぎると絶望して、鬱病からの回復を遅らせた。

ところで、コロナ禍で、女子高校生の自殺が増えていて、その重たる理由は、鬱病らしい。

 

私は感じたように思うのだ。森元会長の発言に反発した女性たちが求めたのは、男性と女性が平等に見て貰えて、両方の価値が公平に評価される世界ではなくて、結婚しなくてもいい、誰にも結婚と出産を強制されない、消去法で家庭を選ばざるを得なくならない、そんな社会だったのではないだろうかと。

 

常に、男性というだけで下駄をはかせてもらえる日本人男性には想像できないだろうが、医学部での女子減点事件でもあったように、女性というだけで、どうせ結婚出産でキャリアを諦めるからと、企業には育ててもらえない。男性と女性が同じ成績なら、男性が優先的に出世させられる。そして、その中でセクハラに悩みつつ、男性には、愛想のいい人物でいないといけない。それを強要してくるに日本企業。そんな中にいたら、きっと、結婚してたった一人の男性の存在を我慢して生きた方がマシと思えるだろう。

それでも、今の時代、女性でも所得を得てきて、森元会長の時代に比べたら、まだまだ遅れているとは言え、ジェンダー平等にも関心が持たれる様になってきている。

それなら、出世が少し不利になる女性であっても、一人の男性の存在を一生我慢しないといけない結婚をしないで一人で細々と生きていきたい。そう思う女性もかなり、森元会長の時代に比べたら、増えているのではないだろうか。

 

しかし、その時代において、この国の政府は、独身にある程度課税して、生きづらくして、無理にでも結婚して子供を産ませようと政策を変えてくるのだ。

その中で、一人で豊かに生きていきたい女性が危機感を募らせても不思議ではない。

 

ある本にあった。女性晩婚化と一番相関がいいのは、女性の高学歴化であり、一番幸福度が高いのは、独身女性だそうだ。

この天国の様な環境を、女性は手放したいだろうか。

女性は、男性の為に存在しているわけではない。結婚するのも、結婚しないのも、どちらも等しく障害なく選べる世界が、真に望まれているのではないだろうか。

この社会の産めという圧力、キリスト教由来の一夫一妻制、それの強要。全ては男性をあぶれさせない様にする為であり、女性の利益を最大化するものではない。

ここに気づいていないのは、政治家だけではなく、保守的な考えを持つ若い人も同じだろう。

 

私は、ある程度年配の人と話すと、貴方の世代は結婚も出産もしないで済んでいいわね、このままの時代が続くといいわね、と理解される反面、若い世代と会話すると、老人たちのせいで自分たちは結婚できないと文句を言う人がたまにいる。結婚と出産は貧乏でも叶えるべき人類の人権の一つだと。

しかし、結婚で得するのは、常に男性なのだ。男性は結婚していた方が寿命が延びる。

女性は、男性が思うほど結婚したいとも恋愛したいとも思っていない。

この自由を手放したくないと、ほとんどの女性が思っている。その空気を、森元会長の発言に対する反発から感じた思いがした。

一部の人は、森元会長みたいな人が未だに権力の地位にいるから、若者が結婚しないと言うが、そもそも、誰が権力者だろうと、結婚したくない人を結婚しなければ貧困に陥る…これが言いすぎでも、豊かさを失う、そうなる様に課税していいなんてことはない。

どちらも自由に選べるようになるべきなのだ。

 

男性や女性という多様性が要求されたのではない。

恐らくは、女性が要求したのは、結婚しなくても豊かに生きていける、課税されないで済む、結婚を強要されない権利ではないだろうか。

結婚は女性のセーフティネットと言われている。それは、上でも書いた通り、鬱病になった時に、私も実感した。

しかし、今、女子高生たちが自殺しているのは、仕事して前向きに生きられる環境じゃないことを悟りつつも、それなら結婚するしかないと思って、でも、結婚なんて耐えられないと思ったから、命を絶ったのではないだろうか。

 

私は、トレードである程度の収入を得たら、自然と外の仕事に応募することができた。

それと同じ様に、独身でも豊かに生きていける所得を女性に与えたら、その余裕のできた女性たちが自然と結婚する。結婚を必需と考えるのではなく、やってもやらなくてもいい人生の選択肢、そう全ての人が思い、安心して、自分の人生を選択できる自由な環境、それこそが真に望まれていることだと思う。

そう、求められたのは、きっと多様性ではなく、人生の選択の自由だと思う。