金曜日、始まった瞬間、明日からの連休もどうせいつかは終わると憂鬱になることがある。
私はトレードも副業の出勤もない日というのは、基本的に1ヶ月に1~2回程度だ。
その為、トレードの為の分析記録を作らなくていい日の始まりである金曜日夜と、副業の長めの勤務が終わる日にちが一番ワクワクする気がする。
土日はトレードはしなくていい。だから、少し気楽だ。
しかし、含み損を抱えて土日を迎えた場合、その後の処理や流れを見たい思いから、少し土日にテンションが下がる。
毎日が楽しいのは、副業が楽しいのは、トレードで利益が出ているからだ。
ところで、金曜日に仕事が全て終わるとして、金曜日の夜が楽しい人が一番多いだろう。
しかし、私にとって一番楽しいのは、木曜日の夜だ。
明日勤めればゆっくり楽しく休むことができると思うと、一番ワクワクする。
金曜日には、既に、もう明日から休みだけど、その3日後には仕事だと思うので、少し憂鬱だ。
土曜日になると、この休みも終わりがいつか来るという思いから焦りを感じる。
日曜日になると、明日から仕事だと思うので、覚悟を決めようと思いつつ、休みが恋しい。
これが健全な生活なのだ。
私は、月収数万程度のガチニートをしていた時期があったが、その時期は毎日楽しく夜更かしをして、昼夜逆転していた。
今は、出勤の仕事もある関係上夜は22時には寝ている。
思えば、ニートの夜は凄く楽しかった。
もし、副業を辞めてトレードだけになったら、米国市場もあることだし、昼夜逆転に戻るか?と問われると、それはない。今が健康的だからだ。自律神経のバランスが整うし、真昼の8時間睡眠より夜中の8時間睡眠が質がいいのは明らかだ。
土日が来る度に、それを如何に有意義に過ごすかで悩んでしまう。
私の趣味は金を稼ぐことだ。副業の休日とトレードの平日が重なる時、今日はデイトレードでもしてみようか…そんな気持ちになる。
ところで、デイトレードは実験的に2年前から少しずつしているのだが、連勝記録みたいなものが伸びてきている。一回エントリーすると、たまに僅かながらに負けるのだが、基本は大きな利益を連続で積み重ねる。
でも、デイトレードは緊張するので、副業での出勤に疲れが残るのではないかと心配になる。結果、99%スイングだ。
読書も楽しいが、所詮は勉強の為という意識もあり、そこまで楽しいわけではなく、気が抜けない。
それでも、思う。私は、読んだ本の内容を全て覚えているのか?観念的には、流れを理解しているが、正確にテストで点を取る為の暗記と言ったら、その精度はない。
映画も好きというより、感受性を磨く為に観ているので、勉強に近い。その為、こちらも、そこまでのワクワクはない。ピンとくる楽しさがあるのは、20に一つぐらいだ。
そんな休日を過ごしていて、副業で出勤するのと、家で過ごすの、どっちが幸せか考えてしまった。
この勉強の日々に終止符を打てる。そう思うと、休日の終わりが切なくない。
しかし、副業で出勤先で仕事を頑張っていると、休日が楽しみになる。
それでも、その休日は、その副業で仕事を頑張っている日々に空想するほどには、楽しくはならないのだ。
結局は、休日そのものよりも、休日を希求する日々は一番ワクワクするのかも知れない。
今日(2月17日)は、少し読書をお休みした。
疲れていると感じたし、読書のモチベーションが今一なのだ。
今読んでいるのは、過去にギリシャの財務大臣だった経済学者の書いた経済の本だが、エアハルトと言うドイツの人物に対する批判がないのを見ると、本当に左派だろうか…と不安になった。左派ガチ勢は、彼が嫌いなはずだ。私もそうだから。
それでも、このギリシャの元財務大臣は、マルクスを引用する箇所がるので、そういうところは、信用が置けて、安心して読むことができる。今日も、夜になったら読書するだろうなとは思う。
今日は、洋楽ミックスを聞きながらのんびりとブログを書いている。
数年前まで、予定を決めないと休日を乗り越えられなかった。
今はだらだらしても、そこそこ楽しめるようになっている。以前は、ぎちぎちにやるべきことを決めて、その通りに実行しなと、手持無沙汰を感じた。その反面、完璧に常に動き続けるので、休日の方が、仕事がない日よりも疲れてしまい、仕事を心待ちにした。
先週の今日、4時間ぐらい読書して、『パックス・ブリタニカ』という本を読み終えた。感想ブログを書きたいけど、書ける日が当分来ない予定だったので、書ける日に読み終わろうと思って無理をした。結果、せかせかと過ごしてしまい、寧ろ興奮した。結果、眠れなくなった。ああいう日は、よくない。
眠れなくなると、副業がきつくなってしまう。それだったら、読書の時間を多少削ってマイペースになるのも、一つの選択肢だろう。
休日は、案外苦痛に満ちている。楽しい娯楽をいくら買っても、それを心から楽しむことはない。口座残高が増えた瞬間が一番嬉しい。だから、1000億円は欲しい。でも、その後はきっと兆を求めるだろうと思う。その頃になったら、ファンドでも持っているのだろうか。夢は広がる。
こういう夢想に耽ると、現在の月収100万が本当にすくなく感じるし、トレードでも緊張感が湧く。その瞬間は、本当に負けない。気持ちで勝つのが大事なのだ。
今日は、のんびりと、刀剣乱舞のゲームもした。
こちらは、今は、秘宝の里というイベント中だ。このイベントは期間中にクリアできる気がしない。ニートなら楽勝だが、仕事もしている。
しかし、幸いにも仕事があるので、課金もできる。課金できるなら、クリア可能だ。
今日は、そんな風に非生産的に過ごしていたら、読書の気力が湧いてきた。
風呂では、漫画を読む。長風呂して漫画を読むのは、トレードをみっちりやる水木と、土日のみにしている。
この前までで、チェンソーマンの再履修を終えて、気になって買っていた漫画の1巻だけを読み終えたところにある。もう直ぐ、進撃の巨人が最終回みたいだ。だから、こっちを再履修しようかと悩んでいる。進撃は、紙の書籍で全巻持っている。しかし、風呂で読めないので、kindleに買いなおそうかと思っている。紙も、いざと言う時に備えて残しておく。
やりたいこと、知識欲はかなりある。漫画もそれを満たしてくれるツールだ。
この前、前髪を切った。
beforeとして、長かった時期の姿。
どちらも気に入っているし、自分は最高に美しいと思っている。
だから、結婚したくない。結婚するの、凄く勿体ないと思う。彼氏もいらない。彼氏を作るのも勿体ない。その気持ちがはっきりあるぐらいに、自分は自己愛に満ちている。
女の価値を決めるのは、男ではない。女が纏うべきものは、自信だ。赤いリップは、その為にある。赤いリップは仕事にはつけていけない。真っ赤なリップ。それを付けて出かける為に、休日はある。そういう予定を楽しみにしている期間の仕事は、本当に楽しい。残念なのは、今は、マスクでそれが隠れてしまう現実だ。
ヒールはどうだろうか。現代の文脈では、奴隷のコスチュームと言う気がする。自由を求めるなら、履くべきではない。赤のリップもヒールも両方女性的だが、それを女性が身に着けるに際して、イメージが真逆になるのは、とても面白い。
今日は、寿司を食べた。
家の近所の寿司屋でテイクアウトしている。以前は毎月食べに行っていたのだが、今はコロナが心配なので、テイクアウトにしている。しかし、テイクアウトにすると、季節物や食べられないメニューもあるので、来月に出かけて食べて来ようか悩んでいる。
今、そこまで生き急ぐ様に読書する必要もなく、気楽に本を読みつつ、外食でも楽しんだ方がいいのではないかと言う気持ちになってきている。
私の読書量はかなり多いが、難しい本が多く、気が抜けないのが少し辛い。もっと人生を気楽に生きるべきだ。そう思う気持ちもあるが、その反面、この努力を放棄したら、1000億に届かないどころか、月収100万すらも失うのではないかと、不安だ。
トレード収益がある程度ある場合考えることは、無職になることではない。
トレーダーとの横のつながりを求めるのもいいが、それ以外に、その輝かしい自分を見てもらう為に外に出たい欲求が湧く。それが、私にとっての副業だ。
恐らくは、働きたくないと言うニートに限って、月収がないのではないだろうか。きっと彼らは恥辱にまみれている。彼らと一蓮托生はお断りだ。
私は、働かなくても、トレードをやめても、親の金と残してくれる財産で一生困らない。しかし、そんな挑戦しない人生に価値はあるだろうか。生きている実感はどうする。そう思うからこそ、金が増えて嬉しいトレードもするし、仕事を認めてくれる同僚や上司のいる副業も続ける。メイクして綺麗な自分の姿も、絶対的に、他人に見てもらう。ネットだけではなく、リアル世界で自分を見せびらかす。こういう虚栄心ならありだ。
以前の知り合いで、金持ちと結婚して、派手女に見下される地味女として生きてきた癖に同窓会に慌てて行った見栄っ張りがいた。彼女の様に、惨めにはなりたくない。
自戒を込めて書いていたら、今日も読書ができそうだ。