ダウ平均の暴落を願うドル売り日記(*‘ω‘ *)

基本は億にも達していないトレーダーの日常。トレードも読書も英語の勉強も、趣味もお洒落もダイエットも、全て無理なく楽しく続けることをモットーにしています。小さな努力も続ければかなり大きな成果に。基本成果を早く出そうとするから皆苦しいのだと思っています。

チェンソーマン10巻を読んで(*‘ω‘ *)

今日(2月11日)、チェンソーマンの10巻をダウンロードして読んだ。

内容は素晴らしい…、素晴らしいが、作者が同じせいかファイアパンチと記号的な色々な物の配置が凄く似ているし、作者が映画に思い入れがあると言うことだから、作風を決めた元ネタみたいなものが、気になってしまった(*‘ω‘ *)

 

 マキマさんについては、ツイステッドワンダーランドのルークを見る眼差しで眺めてしまった。

マキマさん…、素晴らしい性格しているなと思った。しかも、愛の恋だの言わず、『ファン』ということが素晴らしい。そして、キモいファンでも見た目が可愛ければOKと言う、そう思えてしまう自分の脳内について、少し反省したい。

まあ、マキマさんなら…、多少キモくても許されるよね…。

 

マキマさんの能力、下に見た相手のみ支配することができる、この能力をチェンソーの悪魔に使う為に、彼に勝つことを望む、その支配と言う形の愛に、SAOのアドミニストレーターの言葉『愛とは支配』を思い出した。

この作者は愛についてはどう思っているのだろう。前作でも、一方が一方を完全に支配してしまっている愛の関係を描いていた。その意味では、マキマさんを否定していないだろうと思う。

 

マキマさんの契約相手である日本の総理大臣、マキマさんが死ぬ度に適当な日本人の死に置き換えるというももの。

私は銃の悪魔の肉片を集めると言うのが各国の軍事戦略になっている、この作品の中の世界では、第二次大戦の書き換えを思い浮かべた。この作品にも、忘れられたものとして、ナチスなどの言葉が出てくる。

過去の大戦の記憶を忘れた頃に、チェンソーの悪魔によって忘れさせられた後の世界で、銃の悪魔を奪い合う新しい世界大戦が始まってしまう。その為に、日本人の命を悪魔に捧げる政治家…、あまりに現実世界と親和性が高いと思ってしまった。

 

マキマさんのいいところは、一種ヤンデレであっても、他の日本の作品にあるみたいに、好きな相手を傷つけず守って、かつ、好きな相手に都合のいい振る舞いだけをするという保守的な描かれ方が一切ない点だ。

そこには、ゴーン・ガールを思い出すものがあった。

 

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デンジも、アキやパワーと関わるなかで情緒が育ちつつあるが、基本的には、吹っ切れた性格だ。意外とマキマさんと合うのではなかろうか。

マキマさんの支配したいは、完全にヤンデレ的というわけでもなく、支配の悪魔としての本能でもあるだろうと思った。

チェンソーの悪魔に助けを求めた者は殺されるらしく、彼と戦う為か、マキマさんもチェンソーマンに助けを求める。

しかし、その戦いでマキマさんが死んだら、死んだ回数分日本人が死ぬ。

日本は、銃の悪魔の肉片を持っていなくても、マキマさんがいるから、支配の悪魔がいるから各国との軍拡競争に負けるわけではない。そして、米国からも、マキマさんが恐れられる世界。

 

マキマさんも、今日まで日本の二次元作品界を騒がせたヤンデレ達と同じで、デンジを傷つけないが、デンジの一番嫌なことだけをする。

それは、マキマさんが好きなのは、デンジではなく、チェンソーマンだからだ。

チェンソーの悪魔とデンジの心臓に伴う契約を破棄させる目的で、そういう嫌がらせもどきをするのだが、契約条件がなくなったら、この二つが分離されたら、そして、チェンソーマンにマキマさんが勝てたら、マキマさんはチェンソーマンと二人の世界で幸せに生きられるかもしれない。恐らく日本人は、死に絶えていないだろう。

私は、マキマさんは中性的でカッコイイと思っていたが、この10巻で、初めて可愛いと思った。

純愛をする女性、純粋に個体を応援するファン、その描き方として、ストーカーチックではあるが、力があり美しいものには、その権利がある。

 

しかし、ファンとは、崇拝とは、その感情は、その個体を自分の物にしたくても、結局は下に見ることには通じない。だから、チェンソーマンはマキマさんの物にはならない。

マキマさんがチェンソーマンに興味を失った時、恐らくは支配の能力で、自分の物にできるだろうと思う。

 

『愛とは支配』だろうか。あの言葉に似ているとは思うが、この点を思うと、作者の描こうとしているのは、愛と支配を同じものとした時、その意識は、相手を下に見ることなしに、マキマさんの願いを叶えてしまう。

叶わないなら、作者の思いは、きっと別にある。

前作でも、愛しかたの間違いを寓話的に描いていたが、今作も、そういうラストを迎えそうだ。

 

小さい頃から、チェンソーマンの常軌を逸した行動を見て、感激して育ってきた地獄でのマキマさんの姿が思い浮かぶ気がする。

ところで、マキマさんが自然に支配できた全員はどこかマキマさんが好きだった、心酔していた、恐れていた、などの条件があったように感じた。

デンジに支配の能力が及ばなかったのは、もしかしたら、デンジはマキマさんとデートできるのを理想としても、それが思いつきであり、チェンソーの悪魔との契約通りに普通の生活を送る為であり、そこまで求めたものではなかったのかも知れない。

マキマさんを特別視はしていなかった。パワーにもエロさは感じていなかったが、それとは別種、心からの恋心はなかったのかも知れない。

デンジは情緒が未発達だ。それだと、恋は出来ないのかも知れない。私にそういうところがある、だからそう思うだけだが。

 

その意味では、やはり、愛は支配であり、支配は愛なのかも知れない。