ダウ平均の暴落を願うドル売り日記(*‘ω‘ *)

基本は億にも達していないトレーダーの日常。トレードも読書も英語の勉強も、趣味もお洒落もダイエットも、全て無理なく楽しく続けることをモットーにしています。小さな努力も続ければかなり大きな成果に。基本成果を早く出そうとするから皆苦しいのだと思っています。

友達5人の平均が自分のレベルだが、もし自然にできる友達を全員断るとどうなるか(*‘ω‘ *)

よく、友達5人の平均が自分のレベルだという言説を聞く。

私は、月収5万だった時も、月収100万を達成した今も、自然にできるだろう友達のほとんどを、ハイクラスではなかったら一人残らず断っている。

もし、友達5人の平均が自分になるのなら、その友達を誰かれ構わず誰でも良かったで選べば、自分のレベルを下げることになってしまう。

それに、そんな、低レベルな友人たちしかいない惨めな交友関係なら、いらない。

紅茶でも飲んでゆっくりと音楽を聴いていた方が有意義だ、そんな彼らに時間を使うなら。そう思う。

同時に、他人に紹介する際に恥ずかしいと思う人とは友達になりたくない。

 

しかし、周りの友達5人の平均が自分だったとして、自分一人しかいない空間にずっといたらどうなるのか…そういう意地悪なことが、気になってしまった。

 

人間は、相手にファッションが似るだけではなく、話し方なども似るだろう。

その見た目や立ち居振る舞いは、それに合った人間を更に引き付ける。

それで、5人の平均は自分と言う理論を正当化してしまうのだ。

もし、一人ならどうだろう。その時、どう成長したらいいのか?という疑問が湧く。職場での人間関係は、所詮は友人ではない。だから、職場で成長するのがいいだろう。

 

一人なら、常に自分を見つめなおしていたら、そうしたらどんな人間になるだろうか。

私は、どういう人間になりたいか、それを決める為にTwitterでフォローする相手を決めている。なりたくない人間はフォローしない。

その人を見て、成長出来る時、その人間をフォローする。しかし、恐らくは、私が及んでいないのだろう、フォロバは滅多にない。

もっとも、トレーダーということは隠しているので、ただの日常垢で、たまにアニメについて呟く正体不明のアカウントをフォローしたい人間はいないと思う。

恐らくは、SNSの戦略で重要なのは、具体性だ。

結果、ニートを全面に出せば、ニートのフォロワーは付くだろう。しかし、彼らとの絡みは必要だろうか。

ニート5人の平均が自分になる…そんな未来は悪夢だ。

 

私は、常に場違いな人間だ。

一人で何か突き詰めるところがあるので、その時属している集団に、基本馴染めない。

馴染まない人物として、以下を思い出した。

暗殺教室の、赤羽業くん。実は、私も数学専攻で、数学で都内の国立大学を出ているので、彼には親近感みたいなものがある。

暗殺教室

 

暗殺教室 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

暗殺教室 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 業くんは、物事の本質を見るのが得意なキャラだ。それでいて、ある程度の強キャラ的立ち位置であり、しかし、学校にはあまり真面目に通わない、優等生でありながらの素行不良だ。私も高校以降はあまり真面目に通っていない。偏差値は高かったので、あまり文句も言われなかった。

どこか親近感を感じてしまう。

 

彼の様に生きるのも、一つの方法だろう。彼は、この物語の中で、クラスメイトの中で馴染んでいくが、私が馴染む場所は終ぞなくてもいいと思っている。

 

人は、どんな5人を目標にするのだろうか。

トレーダーだったら億トレの集団だろうか。

ブロガーだったらインフルエンサーの集団だろうか。

そこを目指すのは、それなりに価値があるだろう。しかし、その後は?

結局、上には上がいる、どこかで『殺し合いの螺旋を下りないといけない』ように、競争の螺旋を降りる時も来るだろう。

しかし、ウォール街の年配の投資家たちを見ていて度々思う。若いしエネルギーがあるなと。彼らの様に歳をとるには、やはり生涯現役でいることが必要だろう。その為には、競争の螺旋を降りることは、選択肢にない。

もし、インフルエンサーの集団を目指したブロガーがいたら、そこがゴールだろう。彼ら5人が自分を決めるから。

億トレの集団を目指したトレーダーがいたら、そこも終着点になるだろう。億以上の資産は手に入らなくなる。

しかし、悲しいかな。ほとんどの人が求めているのは、空高く上に羽ばたくことではなく、不労所得で楽して暮らすことなのだから。

結局、彼らに好きなモノもなければ、自分のやっている作業に対する愛もない。

そうはなりたくないと思う。老けるから。

 

自分に自然にできるだろう友人たちの存在を全員断ったらどうなるか。

人は人との間で楽しさを感じる。30代にもなって、異性だの恋人だの言っている人は、女性に限らず男性であっても軽蔑せざるを得ない。一番下らない些事だと思う。

スクールカーストも存在しないが、社会階級が存在するのが、大人の世界だ。

 

私は度々思う。結婚していても、伴侶も自分も歳をとり、あまり華やかではなくなった結婚生活を惨めだと。そんな姿になった自分を受け止めて、細々生きていくのも、そのような醜悪な姿になった伴侶をと一緒に花見に出かけるのも、惨めでならない。きっと、彼らは若い時分にそんな悲しい未来を想定しただろうか。

人との繋がりで、一番長く続くだろうモノの末路がこれだ。

 

それなら、友人すら必要だろうか。

ピラミッドの頂点は少数しか立てない。恐らくは、高みを目指せば、そこで自分を表す平均になる5人に出会える確率は、統計上減るのではないだろうか。

成金、それに成り上がり、しかし、貴族的になれない人達。彼らにこそ友人は多数いる。

しかし、その惨めなサークルのどこに魅力があるだろう。

たった一人、タワーの頂点に立ちたい。それができないなら、ロビンフット的にスクエアの中で脚光を浴びたい。その全ては、その他は、友人である必要はない。心底そう思うのだ。

 

友達5人に価値はない。それが、ロシアや中国の富豪が相手だったとしても。彼らが世界の頂点というわけではないから。いつか超えるべき相手。見て超える。それに意義はあるのかも知れない。しかし、見なくても、できることをやる。コツコツと淡々と。それが武道の心得でもある。トレードの世界は武道に似ている。極めるまで、友人はいらない。