ダウ平均の暴落を願うドル売り日記(*‘ω‘ *)

基本は億にも達していないトレーダーの日常。トレードも読書も英語の勉強も、趣味もお洒落もダイエットも、全て無理なく楽しく続けることをモットーにしています。小さな努力も続ければかなり大きな成果に。基本成果を早く出そうとするから皆苦しいのだと思っています。

何の為に生きているのか…(*‘ω‘ *)

読書も美味しい食事も、ゲームもアニメも漫画も、所詮は退屈しのぎだ。

私には、ご飯食べるのも疲れるし、ゲームも今一楽しくないし、アニメも集中できず、読書の気力も湧かない日がある。今日が正にそんな感じだ。

今日は、朝、トレードの分析記録を付けた後に、読書するのか外出するのか1時間近く悩み、結局焼肉を食べに行った。

しかし、私は常に正解を求める性格があり、その行為が正しかったのか?それが分からず、自信が持てない時、疲れてしまう。本当は、家にいて読書を頑張るべきだったのではないだろうか。

 

ちなみに、読者が変わるので、一応今回も書いておくが、ブログは10個ぐらい書き溜めがあるので、書いたその日には投稿されないことが基本である。トレード関連や相場分析については、その日か翌日を心がけているが、これみたいな日記はいつ投稿するかは、気分だ。

 

頑張ってお金を稼いでも、それを使う楽しみが基本はない。強いて言うなら、難しい局面でトレードで大枚得るのが一番好きだ。

増えていく口座を眺めているのが好きだ。

金が好きだ。美しく生きるのが、自分の美貌が好きだ。

それぐらいの意識しかない。

 

しかし、食事と言うのは、他の生物を犠牲にしている。どれだけ自分の外食の判断に自信が持てなくても、ありがとうと感謝すべきであり、それ以外の感情は持つべきではない。

結局は、食べる為に生きている。生きる為に食べている。これでFAなのだ。

生きる為に生きている。

 

資本主義は知らないが、市場社会においては、相手の欲望を満たす何かを生産することで、糧を得て、それで食べて行けるし、より豊かにもなれる。

その際に、持ち運びが簡単だからと作られたのが貨幣だが、貨幣を持つと、自由の可能性を多く手持ちにすることができる。その自由が欲しくて金を求める。金とは自由そのものだ。

 

ところで、ドルストをロングして利益が出た。一時ユーロドルだけは底が抜けたので、その時点ではプレアラート。かなりの多額でロングした。そして出た利益分を確定せず、ドル円のショートに乗せた。3月3日時点での記録だ。

ハッキリ言ってしまえば、為替に使っているのは数百万、それで月に100万以上の利益を出す。しかし、この数百万なんて、なくなったところで、どうでもいい。

 

以前以下のような分析記事を載せた。

 

www.i-love-money-and-beauty.com

 この通りにトレードすることはないが、少し脳内の片隅には入れている。

しかし、恐らくは株価の回復とドルストロングの利益が相関してしまうだろうから、逆相関になる確率は低いだろうなというのが、正直なところだ。

 

ただ、楽しかったと思う。恐らくは市場には円をドルに対して売りたい人が多いだろう。

今読んでいる以下の本にこういう指摘があった。

 

 ソロスがポンドを売った時のポンド危機に関しての記述だが、『金持ち(イングランド銀行)が負け馬に賭けている時に、勝ち馬が分かるのが、一番儲かるトレード』だと。

 

過去にスイスフランショックやブレグジットでかなりまとまった利益が出ているのだが、私個人としては、その金持ちや多数が賭けている方向の逆に賭けるのが一番好きで、上の記事にも、基本は機関投資家ロスカットせざるを得ない状況でのトレードが一番儲かるとも書いてある。

 

ある程度の月収が欲しいとなった時に分かることだが、1ヶ月に1~2回程度のトレードに頻度を控えるぐらいでないと、基本はサラリーマンと同じ月収しか手に入らない。

もっとも、100万もサラリーマンと大して変わらないだろうが。

 

しかし、テクニカルを見ていくと、頻度は高くなる。これを減らす際に、根拠を増やす。それがファンダメンタルズであり、この二つの方向が同じになる時、利益は出やすい。

今の波形は戻しなのか、それともトレ転なのか。これをレジスタンスやサポートを見て分析していくが、この際に、その確度を高める役割をファンダメンタルズが果たしてくれる。

 

ちなみに、私が一番参考にしないのは日米金利差だ。

正確には、ここ昨今騒がれる米国の長期金利の行方である。これは超短期では関係があるが、長期的に見てあまり影響がない。相関がないことが知られている。

私は一時期先進各国全ての長短全ての金利をチェックしていた時期があったのだが、トレードパフォーマンスに対する影響はゼロだった。

 

さて、何の為に生きているのだろうか。

生きる為だとして、それは、楽しいと言う気持ちが薄らいでいく加齢に従い、楽しくはなくなるだろうと思う。

でも、米国の老齢の著名投資家たちは、楽しそうだ。

彼らは、当然のことながら稼いだ金に対して使っている金が少ない。

私もそうだから、想像するのだが、娯楽や食事、浪費での快楽に限界があると思うのだ。しかし、投機での勝利での楽しさや、色々な想定を立てる楽しさに限界はない。

人間の生活を豊かにするのは、趣味なのかも知れないが、趣味が与えてくれる便益に限度がある。それを、昨今は凄く感じる。

大抵は、それを目指している最中が一番楽しい。手が届いた瞬間、自分が理想化したのが、この程度のものだったっけ?と少し落ち込んで、がっかりするのだ。

 

私は、そのガッカリを繰り返しすぎて、全てが無意味に感じる思いに、今日悩まされている。

その楽しみのために、一週間頑張っても、その時が来ると、そこまで楽しくない。

新しい本を楽しみに今の本を読み終わっても、新しい本は、そこまで面白くない。

そんなことが、凄く多い。

そんな時、何の為に生きているのだろうと思って、少し哲学的に悲しみを覚える。

 

トレード、自分の持ったポジの反対側にいる人間が誰か想像した時、とても楽しい。

その人の間違いと自分の判断、それを天秤にかけつつ、今回ロスカットすることがあっても、最終的には自分が勝つ、その未来を想定するだけで楽しい。

その相手にとどめを刺すのが楽しい。昨日の夜はそんなことを考えて眠った。

 

相場が自分の思惑通りに動いた場合と、その逆で、どういう世界を応援することになるのかを考える。株式だと、会社なので、それが理解しやすい。

しかし、為替の世界でも、この相関で、このレートまで動けば、こういう世界が実現するだろうなとか、こっち方向でトレードしている人は、こういう期待を持っているとか

、色々と意識する。

その中で、絶対に容認できない期待の種類も見つけつつ、その逆にトレードすることがたまにあるのだが、その時、何故か強い。

もちろん、その場合は、テクニカルとファンダメンタルズをいつもより念入りに分析しているし、トレンドに逆らう傾向が多いので、かなり慎重なエントリーをしている。

ギリギリまで引き付けて、絶対にロスカットせず売る、そんなエントリーを。

そういう集中できるときは、とても楽しい。

 

何の為に生きているかの答えは、1億円儲けてから考えよう(*‘ω‘ *)