ダウ平均の暴落を願うドル売り日記(*‘ω‘ *)

基本は億にも達していないトレーダーの日常。トレードも読書も英語の勉強も、趣味もお洒落もダイエットも、全て無理なく楽しく続けることをモットーにしています。小さな努力も続ければかなり大きな成果に。基本成果を早く出そうとするから皆苦しいのだと思っています。

進撃の巨人の再履修をしています…冒頭の1~10巻(*‘ω‘ *)

ここ1週間ぐらい進撃の巨人の再履修をしています(*‘ω‘ *)

 

 この漫画は数年前から集めている。しかし、当時では気づかなかった表現の素晴らしさや、ユーモアに気づく。

この漫画の鋭いところは、『自由』に『家畜』としての生き方を対比させたところだろうと思う。

 

私は、フリーランスの、自分はリスクをとっていて公務員は安定志向との、硬直化した思考回路が苦手だ。本当にリスクの覚悟があったのなら、コロナで仕事がないぐらいで、救済を求めないで欲しい。

 

この漫画にはある。全ての人は自由だと。それを阻む力が如何に強くても、生まれた時から自由だと。自由に生きようとすれば、それを邪魔する人がいても、自由だと。

この、自由を意思しだいであると描いたのは、凄く鋭いと思った。

 

日本国はどうだろうか。

この前、ああ、この国の自由を求める意識は、本当に低いのだな。イランやナイジェリアみたい…、と思った出来事は、森元会長の女性蔑視発言の時だった。

海外の大使館の女性たち、海外の日本を知らないフェミニストたち、彼らが日本の女性の虐げられた状況に対して勇気を出してとTwitterでメッセージを送り続けた。しかし、それに答えた日本の女性のなんと少ない事か。海外の方が、反発が大きかった。それだけ進んでいるから。海外は先進国だから。

私は、それが恥ずかしかったし申し訳なかった。

イランの女性たちは、黒い布を脱ぎたいとは思わないらしい。それが女性隷従のシンボルでも。中にいれば、男性が養ってくれるし、自分たちの表情を悟られないで済むから、そう考える人も多いと、過去に習ったことがある。

しかし、現実には、女性が外に出て、多数の人と関わり、自由に人生を選択する自由を奪うことと引き換えの黒い布。そう思うと、女性の払った対価は、あまりに大きい。

日本にも共通しているところがあるだろう。男性が養ってくれるなら、家庭円満の為に、男性が鬼嫁家庭を演じてくれるなら、いくら自らのキャリアが犠牲になっていても、男性の前で可愛く…奴隷らしく振る舞うと。

ナイジェリアでは、ボトムパワーを女性が握っていると、さも女性が強いし、意思を持っているし、自由に強く生きているとの建前がある。しかし、その実は、ボコ・ハラムというテロリストが暴れまわり女子生徒を拉致誘拐している。

 

この三国は、とても似ている。日本、ナイジェリア、イラン。日本のジェンダーギャップ指数はこれらの発展途上国と比較した時、納得のいくものだ。

日本人には、自分たちは欧米の仲間だと思う恥ずかしい名誉白人思考があるが、トランプ政権を支持するKKK(白人至上主義者)の為に、トランプ元大統領が、黒人差別発言を容認する度に、それに反発することもなかった。

トランプ政権の支持母体を思うと、アジア人も差別している。なのに、何故黒人と手を携えて頑張らないのか、恥ずかしくなった。

 

色々書いたが、私みたいな思考回路の人間にぴったりの作品は、①進撃の巨人、②チェンソーマン、だ。今回の記事は、①について。

 

二日前に読んだので、今印象に残っているシーンは、ジャンが俺に自分を嫌いにならせないでくれ、みたいに言わせたシーンだ。

私も思う。これだけ、人種平等やフェミニズムに後進的な日本。これ以上日本を嫌いにならせないでくれ。

 

ところで、私は、進撃の巨人で一番共感できる人物はヒストリアだ。

私と同じ可愛い見た目であり、その可愛い見た目故に要求されること、期待することに応えるのが、無意識に上手い。人に嫌われない為にやるのではなく、役に立つ為にいい子でいる為にやる。その辺、私に似ている。あくまでも、過去の私に。

ヒストリアも、いずれそんな自分におさらばする。

 

フェミニズム的には、ヒストリアとユミルの関係(レズビアン的だが、そう描かれてはいない、暗喩的に示されるだけ)がとてもいいと思う。

ヒストリアを自分の都合の為に守ろうとしていたユミル。しかし、自分も与えられた役割を演じるしかなかった過去の自分を思い、ヒストリアには、自由に生きて欲しいと思う。

女性同士の正しい友情の描き方が本当に上手いと思う。女性の描き方が上手い男性作家は、大抵リベラルとの、価値基準を私は持っている。

ヒストリアがユミルを精神的に助けるが、そうなるまでヒストリアが育つには、ユミルの献身も必要だった。少しずつ心を開き合っていく二人。とてもいい。

 

自由とは?これについて、凄く考えさせられるのが、進撃の巨人だ。

 

私はトレーダーだが、月収100万あるが、それだと外で働く必要もない。

でも、自由って、金があるからバニラアイスかチョコレートアイスかを迷わず、両方食べる権利があることだろうか。違うと思う。妨げる力、金のないと言う圧力、それがどれだけ強くて、その結果、両方ともアイスが食べられなくても、自分の意思で生きていくなら、その人は生まれながらに自由だ。

アイスを選ばず両方その場で食べられる資力があり、実際にそうすること。

それは、正に、この漫画に出てくるモブの巨人たちが皆やっている。彼らに悩みはない。悩みがない程金があることは、自由だろうか。

巨人たちは、壁の中にいなくて、外を自由に歩き回れる。しかし、そこに草原を見る喜びも、空の広さを知る爽快感もない。それは、自由だろうか。

 

自由とは、自由に生きたいと思って、初めて得られるものなのではないだろうか。

自由に生きたいなら、如何なるアイスも食べられないぐらい貧乏であっても自由だ。

逆に、アイスを食べたいとも思わず、しかし、食べることはできる、どちらでもいいとしか思わず、ただ、安穏と、日々を過ごす、正に家畜は自由ではない。

 

壁の中を永遠に安全と思う人も、壁の外を知らないで、バニラアイスしか知らないという意味では、選択肢に迷う不自由がないから、自由と言えるかも知れない。

どっちも選べるが、その美味しさを知らない巨人たちも、美味しさの為に働かされないなら、自由かも知れない。

しかし、この二つの自由を尊べるだろうか。

 

この世界には、尊べる自由と、そうでない自由があると思う。尊べないなら、それは不自由だ。奴隷と同じだ。

しかし、何度も言うが、この作品の鋭いところは、自由の対比を自由を求める意思があるかも知れない奴隷と対比させているのではなく、自由を求める意思のない家畜と対比させているところだ。

歴史的に、馬と人間の奴隷なら、人間の奴隷に価値がなかった。

価値と自由民はまた違う。

 

自由とは何か、それについて真剣に考えるなら、良作だろう。

 

フェミニズムは女性の自由の為にある。

その点でも優れた文学だが、その為か、自由について、極めて急進的だ。

自由の為に戦えと言っているのが、本作。

引き籠ってニートをしつつ、働く隷従がないから、自分たちは自由だと、月収5万で逃げ切ろうとしているニートには、読んでいただきたい。彼らは自分が家畜だと気づくだろうか。