ダウ平均の暴落を願うドル売り日記(*‘ω‘ *)

基本は億にも達していないトレーダーの日常。トレードも読書も英語の勉強も、趣味もお洒落もダイエットも、全て無理なく楽しく続けることをモットーにしています。小さな努力も続ければかなり大きな成果に。基本成果を早く出そうとするから皆苦しいのだと思っています。

歳をとって思うこと(*‘ω‘ *)

歳をとって思うこと、若い頃との違いについて少し書きたい(*‘ω‘ *)

と言っても、まだ30代ではあるのだが、10年前と何か違うとの違和感は常にある。

 

まず、やる気を保つ努力が必要になった。

 

去年を思い出そう。まだやる気がなく、このブログでは度々相場の予測だけを上げていた。まだ、ブログの方向性も決まってなかった。もちろん、今も決まってない。

相場の予測については、もう非公開にしてしまった。

あの頃、相場の予測を毎朝書くのに、凄くエネルギーが必要で、それだけでも大変だった。凄く憂鬱な気分で朝起きることが多かった。今から相場の予測を書くと思うと、それだけでナーバスになれたのだ。

しかし、専業の投資家と比べても自分の見通しがいいことに気づきつつあったのが、去年で、その通りにトレードすれば、直ぐに億トレになれる気さえした。そして、難しいのは、相場変動の中、その予測を信じることだということだった。

信じていれば、本当に今頃億トレだったかもしれない。しかし、信じきれなかった。

 

そして、当時の様な予測は、自分のノートに書いている。

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これが、この前買ったノート。

今使っているのは以下だ。上の写真は、昨今のだが、こっちは、去年の写真だ。両方使いまわしで申し訳ない。

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万年筆で書いている。写真の手帳は去年の物だが、刀剣乱舞のグッズだ。

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この真ん中のトルコ柄の紺色のノート、買った当初は、トレードの分析記録なんて書けなかった。

書くモチベーションがなかったのだ。9月頃の日付が最初に記されている。その頃のスカスカの書き出しを今でもたまに振り返る。

今では、かなり細かく長文で書いている。

たまに、今のポジを応援する為のポジトークも書く。ある程度のテクニカルは必要だが、大きく儲けるのに必要なのは、意志力だと思う。それを応援するポジトークにも、きっと価値がある。

 

やる気が湧かない。歳をとって悩む内容だ。

2~3年前に鬱病だったことがあるので、その影響でやる気がない状態が治った今でも続くのかな?と思うこともあったが、加齢の影響も考える必要があるだろう。

感情が若い頃よりも落ち着いてしまったと感じることがある。

20代の中頃に、今の私ぐらいの年齢の女性を見て思ったことがある。彼女は、ハーフだったこともあり、年齢に比べたら若く見えたが、その反面、落ち着いて見えた。その落ち着き故、見た目だけなら、私とタメであっても、年上であろうと初めて会った時に予測した。

それを同じ感想を、つい最近、年下の女性に抱かれたのだ。

その経験に照らし合わせると歳をとるごとの精神的変化というのは、皆に共通してあるのだろう。

 

アメリカの高齢の著名投資家たちを見ていて、元気だと思うことがある。

しかし、恐らくは、不労所得で細々と趣味に充実するだけで暮らす日々を選択したら、彼らのようにエネルギッシュにはなれないだろうと思う。

日本国内でも、毎日を切実に生きる老人たちよりも、70歳や80歳になっても経営や政治の表舞台から引かない老人たちの方が、口が悪い側面もあるが、見た目は元気だ。

やはり、仕事である程度の刺激がないと、老けるのだろう。

 

にも拘らず、低学歴層に顕著だが、ある程度所得の低い仕事をしていた為、老齢になって、そのストレスの蓄積から、心身共に不調をきたしていそうな老人が、スーパーに行くと結構いる。彼らは退屈そうで、刺激もなく、とてもつまらなそうな人間たちだ。

仕事や所得によっては、仕事そのものを憎み、引退を心待ちにし、その頃に、既にストレスと不調が蓄積している例があるのだろう。

彼らの伴侶たる女性たちにも、その弊害が良く見受けられる。

彼らの時代、今の時代もジェンダーギャップ指数の順位を見ると同じだが、男尊女卑だった。毎日作る夕食の感謝の言葉だけを楽しみに、夫を待つ毎日。そういうのを過ごすとストレスが溜まるし、心身の不調が蓄積するのかも知れない。

夫の偉そうな態度を我慢して、可愛くわきまえた女でいる…そう過ごしてきたからこそ、動作も歳をとり遅くなり、どこか、失われた資産の様な印象を受ける彼女達。可哀相だ。

しかし、これは、私の中では、両方共、貧乏病だ。

ある程度の所得があれば、結婚する必要もないから、夫の存在から逃げられる。同時に、所得を求め、常に仕事を活発にしていれば、前向きな態度も維持できるものだ。もちろん、かなりの所得のある仕事が必要だ。

 

働きたくない、そう思うところに、老化がある。

 

昨日、少し外出してきたのだが、正直、気疲れしてしまった。一人なのに疲れた。

家にいて、ブログを書いたり、トレードの記録や分析を行ったり、読書をして見識を深めたり、そうやって生産的に過ごす方が、不思議と疲れない。

非生産的だからこそ、疲れ、心身ともに刺激もなく、不調とストレスを蓄積させる。

生きる為に生きるとは、奴隷の人生なのかも知れない。やはり、仕事に生きがいを見つけないとダメだ。

 

いつまでも元気に若くいたいと思ってしまう。美貌も保ちたいし、資産も保ちたい。

 

たまに、デフレについて考える。もしかしたら、物価も上がらず賃金も上がらない状況は、心身に無気力や挑戦しないという悪影響を与えるのかも知れないと。

挑戦しない大人を作り、挑戦した人の失敗が重なる世界。

それを見た子供たちは安定を求め、親たちも、子供をそう育てる。

一部は、環境のせいだが、どんな環境でも挑戦していく意思を持たないと、今が永遠続くわけではないのだから。少しずつでいい。何か挑戦して、前に進まないと。

普通に会社に勤めて、結婚して、年金貰って、小孫に看取られ墓に入る。そんなロールモデルは既に終了してしまっていると思う。

何かを残すなら、社会に対して、世界に対してであるべきであり、自分の子供たちに対してではない。

残すのは、資産や知識であるべきでもなく、挑戦したら挑戦しただけのリターンもあると知ってもらうことが大事なのだろう。そして、その生き方が楽しいと。

 

年取って、楽しいと感じることは、確かに減った。

しかし、何かに対して挑戦している時は、とても楽しい。

毎月、少しずつ前進していても、高すぎる目標に、愕然とすることもある。届かないと。

それでも、壁にぶつかった時に思うことは、今やるべきことをやるしかない。出来ることを精一杯やるしかない。それが結果に繋がる保証はどこにもないが、それしかできないのも事実なのだから。この意識だ。

この意識は、私が青春を生きた頃から変わらない。

 

環境が悪くても挑戦できる私みたいな人間もいる。しかし、それは、その環境に従っていたら先細りとの危機感が、いつの歳でも常にあったからだ。そして、その危機感があるだろうが、頑張れない人間も一定数見てきた。

 

デフレの影響なのか、生きてきた人生が苦痛に満ちていて退屈だったからなのか、歳をとって、老齢になって、数々の不調をきたす人を沢山見る。

知り合いや直接の関わりにはいないが、買い物に行った先で、惨めな人達を見る。

 

ああいう老後だけは迎えたくないなと思いつつ、その為には、今に安住しない方がいいなと心底思う。