ダウ平均の暴落を願うドル売り日記(*‘ω‘ *)

基本は億にも達していないトレーダーの日常。トレードも読書も英語の勉強も、趣味もお洒落もダイエットも、全て無理なく楽しく続けることをモットーにしています。小さな努力も続ければかなり大きな成果に。基本成果を早く出そうとするから皆苦しいのだと思っています。

普通の人生と普通の生活(*‘ω‘ *)

近頃、周りの人が結婚していたり、結婚したり…離婚したり、そういう流れを見ていく中で、普通の生活をしている人があまりに多いのだなと実感する。

 

私には遠い…普通の生活。

 

大学卒業後、大学時代のバイトが上手く行かなかったこともあり、就職する気がなくぶらぶらしていた私。そんな私の前に訪れたのはリーマンショック。その頃は、FXではなく、株式だった。なんとかトントンで終わった2008年。その時相場に可能性を感じ、トレードを志すも、2011年には、別の楽しみを見つけて、またぶらぶらする。本気でトレードを始めたのは、2018年暮れになった。

 

しかし、それまでにもトレードである程度本気気味に取り組んだ時期もあった。

スイスフランショック…、スイス国立銀行スイスフランの上限を守り切れないと見て、ひたすら数年に渡り、スイスフランを買い続けた。それもユーロスイスで。

ブレグジットの少し前、ホテル暮らしをしたかったので、当時下落していたポンドをひたすら売りながら、海外に渡って、またその時の運で儲けた資金で、ぶらぶら。

 

そんな人生だった。

 

結局何処にも属さなかった結果、失ったり得たりで友達の入れ替わりは激しい。

同時に、どこにも属さなかったので、まともな恋人はこの期間できないか、出来ても長続きしないことが多かった。

 

そんな私に一番遠い生活とは、結婚して子供を産んで、マイホームを買って、夫婦で子供の成長を見送る。入学式に卒業式、成人式。そんな普通の人生だ。

 

随分遠くまで来てしまったと感じるが、そのお陰で、月収100万が手に入った。ただし、3月は30万程度になる予定だ。副業を足して50万ぐらい。

 

月収30万ぐらい稼いでくれる夫と結婚して、その人と子供を育てて、週末にはドライブに行く。あまりに遠い響きに聞こえる。

 

チェンソーマンという漫画が好きだ。

その漫画では、デンジという主人公が普通の生活をしたくて戦う道を選ぶ。しかし、実質的に、断る選択肢もなかった。デンジは、普通の生活をすることを条件に、チェンソーの悪魔と契約して、その悪魔に心臓になってもらい、不死になる。強くもなる。

しかし、チェンソーの悪魔も抱きしめてもらいたいという普通の願いを持っていた。

 

私は、始まりが、2008年だったこともあり、最初から、ファンダメンタルズを使ったトレードで勝てた。2008年はトントンだったが、当時、信用取引はしていないので、買いで逆張りしてこの成績なら、寧ろ凄い。

しかし、今の私は、逆張りで利益が出る。

私は、寧ろ、普通の生活を捧げることを条件に、相場の悪魔から、金を貰う契約をした様なものだ。

 

普通の生活とは、普通なのだろうか。

 

私は、もう30代になっているので、普通に復帰することは、ないだろうと思う。

 

外で働いていると、普通の生活をしている人間も凄く多いと言うか、それが当たり前で、そこそこ稼げれば、その普通は簡単に手に入り、その普通への入り口は、開かれていると感じる。

 

しかし、私がその世界を遠いと感じるのは、きっと、トレードから足を洗うつもりが全くないからだ。

普通の生活をしている人を見る度に、普通の尊さを感じる反面、自分の金の為に、その全てを捧げたことに満足している。

 

非日常。その耽美な幻想を見た今、今更普通なんて望めない。

 

チェンソーマンでも、アキを失った後、デンジが普通に戻り辛くなる。あれを見ていると、実際的な取り囲む環境よりも、普通に生きれるかは、その人の精神性に影響される。

 

結婚したいかと聞かれると、結婚したくない。

恋人が欲しいかと聞かれると、恋人はいらない。

友達が欲しいかと聞かれると、それも、将来金で買うからいらない。

 

まさしく、相場の悪魔と交わした契約をしっかり守っているから、トレードで勝てると言わんばかりの生き方。素晴らしいと思う。

 

普通の生活をしている人を見ていると、間にマイルドな膜の様な物を感じて、全く身近に感じられない錯覚を覚える。他人だからだが、他人なだけではなく、別世界なのだ。

このまま、億トレになり、1000億の資産を築き、英語を覚えてHFにでもなったりしたら、益々普通のことを普通には感じられなくなっていくだろう。

既に、感じられないと自覚できない部分や分野もあるだろうと思う。

 

書いている内に、こんなに無為に時間を過ごすなら、少し読書しようと思えた。

郷愁は忘れて生きるべきである。

普通の生活とは、私にとっては、遠い実家の様なものなのだ。もう二度と帰らない故郷。しかし、都会の空気を吸い都会に染まり、都会で新しい出会いや生活を手に入れて生きていく。そんな時に、いつかは忘れる実家と故郷の田舎。それが、私にとっての普通の生活と普通の人だ。

 

今、以下の様な本を読んでいる。

 

 この本には、不老長寿になる方法が沢山書かれているし、老化の原因についても書かれている。

私は、普通を捨てて生きる時に思うのだが、普通じゃない人の方が老けない。私も老化してない。

逆に、結婚して幸せに生きている人の方が、女性だと圧倒的に劣化もしているし、老けてもいる。これも、私が結婚したくない理由だったりする。やはり、外に出るのが、女性にとっては健康にいい。

今の副業は、恐らく、月収数百万になっても、人間関係に支障をきたしたり、仕事がよっぽど認められないみたいなことがない限り続けると思う。元気に若く生きたいからだ。

適度なストレスは、アンチエイジングにいいらしい。

この本を読みだしてから、小食になった。運動もするようになった。

しかし、知る限り、健康を気遣って、スナック菓子を食べていなかった過去の友人が若かったかというと、そういうこともなかった。年相応にしか見えなかった。本人が若いつもりなのは、痛々しかった。

 

体内年齢は若いと思う。でも、見た目が若くないと意味がないのだ。

 

普通に生きないということは、体や若さの資産を失わずに生きるということだ。それが必要条件になる。私には、そのプレッシャーが常にかかる。

 

結婚して普通の生活を送る、送れるとは、老化していいということなのかも知れない。

この本にも、生殖を果たすと老化すると取れる文章が出てくる。生殖をしないことは、自分だけが遺伝子の唯一の持ち主だから、永遠に生きようと、生物にプレッシャーを与えるのかも知れない。

 

普通を捨てて生きて得たものは、多い。特に金と美貌であり、私は、その二つが大好きだ(*‘ω‘ *)