ダウ平均の暴落を願うドル売り日記(*‘ω‘ *)

基本は億にも達していないトレーダーの日常。トレードも読書も英語の勉強も、趣味もお洒落もダイエットも、全て無理なく楽しく続けることをモットーにしています。小さな努力も続ければかなり大きな成果に。基本成果を早く出そうとするから皆苦しいのだと思っています。

『天冥の標 新世界ハーブC』を読み終わりました(*‘ω‘ *)

 ここ半月ぐらいかけて『天冥の標 新世界ハーブC』を読み終わりました。

長いSF小説の7巻です。

この前の巻までの感想は、以下の記事や、その記事での引用を見て下さい。

 

www.i-love-money-and-beauty.com

 

 

以前の記事にも書きましたが、一巻目を読んだ時は鬱だったこともあり、面白さもそこまで感じず、また集中力に欠ける状況でした。しかし、今はリラックスしつつも程よく興奮して読むことが出来ています。

 

前回の続きになります。

 

この7巻目は、アイネイアやその婚約者ミゲラがセレスシティに墜落してしまってからのお話であり、パラスや太陽系各地での冥王斑のパンデミックに伴い、セレス地下のチェンバーに逃げてきた子供たちの生き延びるための数々が描かれている巻でした。

 

まず、前巻に続き、チェンバー(オリゲネス)を統治するのが、ミゲラやサンドラの様な女性になるところは、ジェズベルやミヒルを描いた傾向が受け継がれている印象があります。

しかし、個人的に、この作者の女性の描き方について、フェミニズムは感じられず、そこがフェミニストの私にしてみたら、少し残念に感じられる点があります。

どこか、女性が支配している。いざとなったら女性がしっかりしていて強い…と描きながらも古い家庭の一形態である鬼嫁家庭と同じ匂いが感じられ、私は、少し嫌です。

あくまで一フェミニストの主観的感覚なので、それを敏感に感じる人は少ないとは思いますが。

オリンピックの組織委員会の森元会長も、『家で娘と妻に怒られました…』といざとなったら、都合よく女を持ち出す…。それと同じ匂いを感じなくもないのです。私は、亭主関白の家庭は大嫌いですが、鬼嫁的な家庭も理想とはしません。男女の対等な関係を求めます。前者二つに、互いに対する真の尊敬はありえません。

 

自分の中では、常にフェミニズムが熱いので、少し話が逸れました。

 

お話としては、ハラハラするし、面白いです。

 

まず、チェンバーに逃げてきた10代の子供たちは、20人ぐらいで一部屋使う生活を始めるのですが、その様子は、救世群の人達が、エウレカで営んでいた家族制みたいなものに似ている印象を受けます。その様子は、救世群としては、あまり細かく描写されないこの小説。

最初、救世群を差別していた人達が、最後には冥王斑のパンデミックから逃れる形で、不便をかけた人達と同じ生活をせざるをえなくなると描いたその様子には、常に弱者に対して優しい法の存在する世界を構築することの意義を感じさせるものでした。

同時に、チカヤが南米の島に送られた後での生活については、あまり詳しく書かれていないこの小説全篇。しかし、この巻を読んでいると、きっとこういう生活をしたのだな…と思いを馳せることができるようになっています。

 

昨日までの弱者と強者は、細やかなパンデミックで入れ替わってしまった。その描き方が印象的でした。

 

その中で、前巻冒頭でイサリを助けたスカウトの面々は、チェンバーで専制政治を最初敷きますが、それに意義を唱えるメララがとても素敵に映りました。

そうなのです。自由の為には力が必要に見えますが、自由の為に、色々な利便性を失う覚悟で発言する勇気は誰もが持ち合わせているのです。

個人的には、『酸素いらず』の生き方は、私には凄く刺さるものがあり、好きです。

 

スカウトのメンバーと一緒に政治をすれば、何不自由なく生きられたメララ。しかし、彼女は、何か、スカウトのメンバーの作る世界や、彼らの差し出す忖度の様なものに、不自由を感じます。私もメララに誘いを断って欲しい…と思って読んでいたので、あのシーンは気に入りました。

 

数々のメンバー間の抗争も描かれ、その中で、沢山の人が死んでいきます。

しかし、救世群が最初に南米の島でキャンプ生活をすることになった時にも、その後どうやって月に流れたか詳しくは書かれていないですが、色々な派閥できっと死者がでたことでしょう。

あの島で、最初、外国の人間が力を持っていたと思える描写があったと、うろ覚えながら記憶していますが、それに逆らって日本人にも飲み水を与えようとしたチカヤの勇気。それにメララは重なるものがありましたね。

 

フェミニズムも自由を求める学問なので、家父長制的なスカウトに反抗したメララからは唯一フェミニズムが感じられる良きシーンでした。

 

その後、サンドラによる革命があり、世界はチェンバーの中で豊かに暮らすにはどうしたらいいかを模索するように動きます。

 

ただ、悲しいのが、私は絶対に結婚もしたくないし子供も産みたくないのですが、独身で自由に生きたいし、豊かさも欲しいのですが、ああいう終末みたいな世界になると、女は子供を産まされる…それしか人生の選択がなくなるのだなと言う悲しみですね。

どの作品でも、終末が描かれると、必ず女にそういう役割が回ってきます。作品が悪いのではなく、平和でないと、女性の自由は叶わない。そういうことなのでしょう。

 

サンドラの作る世界も、女性が働けないわけではないですが、基本は豊かな政権内メンバー以外は結婚して子供を作っている世界です。

子供を作って暮らせるだけが、全ての人が望む豊かな生活ではないのです。そのほかに楽しめる余暇があってもいい。

 

しかし、地下のこの生活は少しずつ豊かになっていきます。

救世群の場合は、外部からの差別がありましたが、ここは完全に隔絶された世界。故に、豊かになることの足を引っ張る人達がいなかったのでしょう。

そして、労働の割り当て、教育の割り当て。チェンバーの暮らしは、豊かになっても、独裁制ということもあり、共産主義の見本みたいになってます。

最初に断っておきますが、私は左翼なので、共産主義を支持しています。しかし、マルクスを支持するかは別物で、彼は生涯にわたって子供を沢山作って妻を家庭で生活させるという保守的な男でした。チェンバーの暮らしもその傾向が強く、共産主義が強くなったら、女は家庭に…とならないといけないのかな?と自分のマルクスに関する確信を深めたものでした。

それ以外は、共産主義は好きですし、この物語は、結局、共産主義の成功の物語でもありました。外部の邪魔がなければ、全員が日々豊かになっていくことができたので。

 

ところで、ソ連は、チェルノブイリの賠償の結果破綻しました。

苦難にある国民全員に対して賠償責任を果たした立派な国家だったのです。

つまり、これの最後は、電力問題でした。

 

そして、チェンバー…メニーメニーシープも最後には電力問題が持ち上がります。

外には救世群がいるから地下から出られない。殺されるし病気をうつされるし、そうなると多くが死ぬし、自分が死ぬかも知れないから。この辺の設定と、恐らくは、電力の為に外に出ていく試みをしていくだろうと予測される先は、どこか『進撃の巨人』を思い出しますね。

どちらも、このままでは先細りだとの意識が根底にあります。

 

少しソ連も思い出させる作品でした。

 

色々考えながらゆっくり読みましたから、面白かったです。